法律

2009年7月28日 (火)

報道に罪はないのか?

2009年7月28日 晴れのち雨
気温はそう高くないが、湿度は高く、体感温度はやや高めです。

しばらく忙しく更新できないでいました。今日は少し時間ができました。

報道により辛い思いをしている方々はいるでしょう。しかし、報道に罪が認められることは稀にしかありません。東京女子医大で起こった心房中隔欠損症手術時の人工心肺事故では、現在、無罪が確定した被告に対して、不十分な調査に基づく報道でその名誉を毀損したと思われる事例がありましたが、今回、高等裁判所では『報道機関の罪』が認められませんでした。

地方3紙の賠償責任なし=通信社記事掲載の名誉棄損認めず−女子医大事故報道・高裁

<以下引用>
『地方3紙の賠償責任なし=通信社記事掲載の名誉棄損認めず−女子医大事故報道・高裁
 東京女子医大病院(東京都新宿区)の医療事故に関する共同通信社の記事で名誉を傷つけられたとして、刑事事件で無罪が確定した佐藤一樹医師(45)が同社と配信記事を掲載した地方紙3社に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は28日、3社に計385万円の支払いを命じた一審判決を取り消し、原告側の請求を棄却した。一審と同様、共同通信の責任も認めなかった。
 3社は秋田魁新報社(秋田市)、上毛新聞社(前橋市)、静岡新聞社(静岡市)。
 判決で都築弘裁判長は、通信社の配信システムを、「全国民に情報を伝達するために有用で、国民の知る権利に奉仕する報道の一形態として尊重すべきだ」と述べた。
 その上で、共同通信は正確な記事を配信できる態勢を整えており、記事の正確性のチェックなど必要な措置を取っていると指摘。3社について「取材するに当たっての注意義務を共同通信が履行することを期待できた」として、注意義務違反はなかったと認定、過失責任を否定した。
 一審東京地裁は「通信社の記事でも、真実性について高い信頼性が確立しているとは言えない」として、掲載紙側の責任は免れないとしていた。
 判決によると、3社は2002年7月、心臓手術を受けた小学6年女児の死亡事故について、佐藤被告の医療ミスが原因とする共同通信の配信記事をそれぞれ掲載した。
 佐藤医師は業務上過失致死罪に問われたが、一、二審とも無罪とされ、今年4月に確定した。(2009/07/28-20:37)』
<引用終わり>

報道機関はその影響力の大きさから、ときにヒトを傷つけることがあります。しかし、その罪が認められることが稀なのはどうしてでしょうか??刃をもつものに、十分な抑制力をもって対処しなければ暴走するだけでしょう...。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

遺産

2009年7月2日 晴れ
昨日はゲリラ豪雨。今日は晴れです。

付近では、溶連菌感染症、ヘルパンギーナなどが流行中です。

さて、このほど急死したビッグスターのマイケル•ジャクソン氏の遺産のことで、故人の周りは騒がしくなっています。コレだけのものを残せば、当然、争いがおこるでしょうね...。悲しいことですが、それが人間の性です。幸いなことに、(多分?)有効な遺言状が残されています。ダイアナ•ロス氏を実子の養育者として挙げていることには驚きました。

マイケルさん遺産550億円、養育権にロスさんの名も
魚拓はとれません。

<以下、引用>
『マイケルさん遺産550億円、養育権にロスさんの名も

 【ロサンゼルス=飯田達人】急死した米歌手マイケル・ジャクソンさん(50)の元弁護士が1日、ロサンゼルス郡上級裁にマイケルさんの遺言状を提出し、その内容が公開された。

 2002年7月に本人が署名したもので、全財産を同年に設立した自らの基金に預け、管理するとしている。

 子供3人の養育権については、マイケルさんの母親キャサリンさん(79)にあるとし、うち子供2人の実母デビー・ロウさん(50)には養育権がないと明記。キャサリンさんが養育できない場合は、ダイアナ・ロスさん(65)に養育権が移ると決め、弁護士ら3人を遺言状の執行人に指名した。

 米国を代表する黒人歌手、ダイアナ・ロスさんは、マイケルさんをジャクソン5の一員として売り出したことで知られ、マイケルさんの長年の親友とされる。

 マイケルさんの遺産額は今後精査されるが、AP通信は、07年3月時点で負債が3億3100万ドル(約321億円)あるものの、資産は5億6700万ドル(約550億円)あり、2億3600万ドル(約229億円)が残る見込みだとしている。

(2009年7月2日11時44分 読売新聞)』
<引用終わり>

多額の遺産を残す場合は、キチンとした遺言状を残しておくのがエチケットでしょうね...。ふと、感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月18日 (木)

難しい問題

2009年6月18日 曇り
朝から曇ってはいるのですが、雨は降りません。空梅雨です。

さて、日本において自身の意思を十分に表すことのできない小児が脳死に至った場合、現行の法制度であれば、その小児から臓器移植のための臓器を得ることは許されていません。臓器提供の意思表示を確認できないため、あるいは、脳死の原因に虐待の可能性を否定できないからともいわれています。

ただ、そのため『生きるには臓器移植しか道が残っていない日本の小児』はこれまで、生体間移植か外国に行って移植をうけるしか方法がありませんでした。特に心移植は生体間移植は当然不可能であり、拡張型心筋症などで移植しか方法の残されていない小児は、現在でも渡米したりして移植手術をうけるしかありません。

海外で臓器を得て生命を得ることは、当地の臓器を待っている患者さんたちには、どう映るのでしょう。移植を行う技術は十分に熟成されている日本において、小児だけは法整備の問題から国内での移植が行われない。

また、日本では亡くなった小児のご両親に、移植のための臓器提供を承諾するほどの素地が整っているでしょうか??難しい問題です。しかし、いつかは超えて行かなければならない問題でもあります。

臓器移植法改正「ようやく前進」「あと一歩」患者家族ら拍手

<以下、引用>
『臓器移植法改正「ようやく前進」「あと一歩」患者家族ら拍手

 「一歩前進だ」――。臓器移植法改正案が衆院本会議で採決された18日午後、15歳未満の臓器提供を可能にするなど移植増加につながると期待される「A案」が可決されると、傍聴席に詰めかけた患者家族ら賛同者から拍手がわき起こった。

 参院の審議を控え、先行きはまだ不透明なだけに、家族らは「成立に向け、さらに支持を訴えていきたい」と表情を引き締めていた。

 米国での心臓移植を目指した一人息子の聡太郎ちゃん(1歳)を昨年12月に亡くした中沢啓一郎さん(37)、奈美枝さん(34)夫妻はこの日、本会議場の傍聴席から身を乗り出すように、賛否の札を投じる議員の姿を見つめた。可決で拍手が起こる中、啓一郎さんはあふれる涙をハンカチで覆った。

 拡張型心筋症の聡太郎ちゃんは昨年8月、「年内が精いっぱい」と医者に宣告された。移植を受けるしか助かる道はなかったが、日本では15歳未満の臓器提供は認められていない。渡航移植には1億6600万円が必要だった。街頭募金で金銭面のめどをつけ、向かった米国で聡太郎ちゃんは力尽きた。

 「もっと早く法改正の議論をしてもらえれば、聡太郎も今、元気だったのではないかと思えてならない」。採決後、A案賛同者とともに国会内で記者会見した啓一郎さんは、悔しさをはき出した。妻が抱える息子の遺影を見つめ、「A案で採決できたよと報告できる。参院審議があるが、一歩踏み出せた。息子と共に最後まで頑張りたい」。奈美枝さんは「私たちと同じような思いをほかの人がしないで済むための一歩を踏み出せた」と控えめに語った。

 今年1月、9か月の長女心春(こはる)ちゃんを拡張型心筋症で亡くした岡田由紀さん(31)も、中沢さん夫妻の隣で本会議を傍聴。渡航移植を目指して募金活動の準備中に娘を亡くし、いつも遺影を持ち歩いているという岡田さんは「天国から見てくれていたと思う。参院での成立まで頑張りたい」とかみしめるように語った。

 A案を支持し、一緒に会見に臨んだ日本移植者協議会の大久保通方理事長(62)は「ようやく成果が一つ出たが、なぜこれほど時間がかかったのか。参院では迅速に集中審議し、確実に今国会で結論を出してほしい」と訴えた。

 一方、「議論が尽くされていない」などとして、移植の要件緩和に慎重なグループも国会内で記者会見し、落胆の表情を見せた。

 全国交通事故遺族の会の佐藤清志さんは「前日まで元気だった子が、急に事故や病気で脳死状態になった場合、家族は冷静な判断ができない」として、本人の意思が不明でも家族に判断が委ねられるA案に異議を唱えた。

 臓器移植法改正に反対する市民団体の川見公子事務局長は「難しい問題で、国会議員の中でも十分理解されたとは言い難いのに、短時間の審議で採決された。怒りを覚える」と話した。

(2009年6月18日22時32分 読売新聞)』
<引用終わり>


難しい問題です。しかし、臓器移植を待っている小児患者さんも一日千秋の思いで待ってることでしょう。時間もあまりないのが本当です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 5日 (火)

たまんねーな...

2008年8月5日 晴れのち雨

このごろは、夜間の呼び出しが多く...寝不足が続いています。朝晩冷え込んできているので、喘息の児が発作を起こして来院し、入院となることもあります。

さて、医師法21条は異状死体の届出について規定するものですが....現在はその範疇を超えた拡大解釈がなされ、医師は処罰されます。

【2008年7月30日】次のような記事が共同通信社から報道されました。見出しは”医師法違反で罰金30万円 特養ホームの転落死届けず ”でした。

 特別養護老人ホームでストレッチャーから転落した女性=当時(85)=の死亡を警察に届けなかったなどとして、医師法違反と虚偽診断書作成の容疑で書類送検されたさくら病院(福岡市城南区)の男性医師と副院長について、福岡区検は30日までに、医師を医師法違反の罪で略式起訴、福岡簡裁は罰金30万円の略式命令を出した。

 副院長は不起訴処分とし、医師も虚偽診断書作成罪については不起訴となった。検察側は不起訴処分の理由を明らかにしていない。

 福岡県警の調べでは、福岡市中央区の特養ホームで昨年8月、職員が介護の際に女性を誤ってストレッチャーから転落させ、さくら病院で死亡が確認されたが、医師は警察に届けなかったとされる。

 さくら病院の江頭啓介(えがしら・けいすけ)院長は「異状死の届け出については現在、広く論議されている問題であり、特にコメントすることはない」としている。

関連病院とはいえ、別の施設で生じた事故により亡くなられた患者さん。診断に関わったのみの医師が、略式起訴されるのは...納得がいくことではありません....。どのような状況であったか?詳細にわかる訳ではありませんので....これ以上は突っ込むことをしませんが、警察の横暴さを感じずにはいられません。

『ある特養で85歳寝たきりの方を介護師が入浴につれて行き、ストレッチャーの柵をおろしたまま反対側に回ろうとしたとき、入所者が転落し頭部を打撲、系列病院に搬送後死亡。病院は診断書に「病死又は自然死」と記載した。特養では10日後、規定により市に報告し、市は”警察に通報なし”の記載を気にして、警察に届け出るように施設に指導、特養から警察に届けが出された。警察は捜査により病院副院長および医師に診断書虚偽記載と届け出義務違反の容疑をかけた。結局簡易裁判所は担当医の届け出義務違反に罰金30万円の略式命令をだし、そのほかは不起訴になったというものでした。ネットIBというwebニュースで集中的に4回にわたって報道されています。』

なぜ、柵を下ろしたまま反対側に回る必要があったのでしょうか?そこには、現在の介護の現場に潜む人材不足がありそうです。それは、さておき....医師はこのようなときには....警察の手先になって、事件性があるのかどうか?判断する必要があるのでしょうね....。医者が医者してればいい時代は終わりを告げたようです。

『医師の届け出義務違反は21条の拡大解釈によるものです。現場では外傷があり死亡したところまではわかりますが、転落死の事実がわかっていても過失かどうかを判断することは不可能で、過失が犯罪かどうかもはっきりしない。見込みだけで人を訴えることはよほどのことでないと出来ないし、現場の医師一人ひとりで判断は異なる。普通は施設が警察に報告をすると思うが、介護保険法では届け出先は市町村と決まっていて、警察通報は明記されてはいない。細かい事情がわからないのでこれ以上は話を進めないほうがよいでしょう。ただ、救急には救命処置という重要な役割があり、警察や検察が救急の医者を手下だと思って届け出に注文をつけ、勝手な解釈で処罰までされるのはたまんねーなと思います。ともかく特養はこの事件をすみやかに市にとどけ、自らの手で原因究明を行えば、現在の介護現場の問題が浮き彫りになったのに残念な事件です。』

ほんとたまんねーなです。医師が医療の現場の中で、この死には事件性がある、こちらは事件性がないというような判断をつけなければ、刑事事件となる。ということであれば...とんでもないことですね...。医師法21条の解釈はこのままではいけないでしょう。

続きを読む "たまんねーな..."

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年5月13日 (火)

どうだろう...

2008年5月13日 晴れ
清々しい天候です。どこかにドライブでも行きたいくらいですが....重症を抱えるとそうもいきません。(悲)

さて、悲しいニュース。まずは、55歳でくも膜下出血にて亡くなられた女性、及び、その御遺族の方々に深甚なる弔意を表します。

記事は信濃毎日新聞から。

くも膜下出血見逃し女性死亡 佐久病院医師を書類送検
魚拓

『県厚生連佐久総合病院(佐久市臼田)で2004年10月、頭痛を訴え受診した佐久市岩村田、主婦小林美幸さん=当時(55)=がくも膜下出血で死亡し、夫の哲さん(59)夫が医療ミスがあったとして告訴していた問題で、南佐久署は13日、診察した同病院のF医師(29)=佐久市中込=を業務上過失致死の疑いで地検佐久支部に書類送検した。』

残念なことです。どのようなミスがあったのでしょうか??

『調べによると、深沢医師はくも膜下出血の初期段階を疑い、適切な検査と治療をしなければならなかったのに怠った過失により、05年1月12日、同病院で小林さんを死亡させた疑い。同日、告訴状を受理し、捜査をしていた。深沢医師は過失を認めているという。』

頭痛は普遍的な症状で、その中にはくも膜下出血の初期段階のようにほっておくと死亡に結びつく様な疾患も含まれます。特に、急激に発生した「いままで経験したことのないような」頭痛においては、原因精査のため検査を行うべきだと思われます。

『同署などによると、小林さんは04年10月23日、後頭部に急激な痛みを感じ、同病院の救急外来を受診。「肩凝りによる頭痛」と診断され帰宅したが、数時間後に意識不明になって同病院の集中治療室(ICU)に入院し、意識が戻らないまま死亡した。受診時に小林さんはくも膜下出血の恐れを伝えたが、深沢医師はCT(コンピューター断層撮影)検査などをしなかったという。深沢医師は研修2年目で、当日は土曜日だった。』

頭痛の患者さんに、すべて頭部CTを行う訳ではありません。危険な症状(急激に発症したもの、項部硬直を伴うものなど)を呈するものはするべきであろうと考えています。また、くも膜下出血の初期は、髄腔内に漏れる血液量が少なく、頭部CTでも診断できない症例も多くあります。診断するためには、頭部MRIを併用し、それでも診断できなければ腰椎穿刺して髄液中に血液が漏れていないか?を評価します。しかし、そうこうしているうちに、second attackが起きて助からない....。ということもあるのです。かなり、コワい病気です....くも膜下出血。

最初の時にCT撮ってれば、診断できたでしょうか??ギモンは残りますが、CTを撮っていれば...「診断が難しかったのだ....」と思えるのかもしれません。

『哲さんは「医師はくも膜下出血の症状をよく知らなかったようで憤りを感じる。病院側は示談を申し込んできたが断った。起訴されるか経過を見守りたい」と話した。』

憤りを感じるのは仕方がないでしょうね...ただ、この医師が起訴されて刑事事件となれば、その鬱憤は晴れるのでしょうか?どうでしょうね....。

続きを読む "どうだろう..."

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月11日 (日)

医療と刑事責任

本日2稿目となります。

医療と刑事責任については拙ブログでかなりの量、扱ってきました。医療とは本来、不確実なものです。医師は神ではない...。死人を生き返らすこと、死にゆくものを引き止めることも出来ないのかもしれません。しかし、そこに一分の可能性があれば医療行為を行う価値があるはず。そして、それが残念な結果に終わっても....刑事的に訴追されるのだけはそぐわないと感じます。

ある韓国ドラマで、最近、高官に仕える侍医の話がでてきました。その高官の病は、全身に広がり、「骨まで病に侵されている、救うことは不可能である」と、投獄されている侍医はもらします。更に、「その高官が亡くなれば、私の命も尽きることになる」。つまり、死刑となるのです。

正当な医療行為に刑事責任を負わせることは、そのドラマの中の状況と似ています。新羅の時代と現在....何が変わったのでしょうか?ひょっとして、変わってないのかもしれません。

「刑事責任追及に違和感」 5月10日0時24分配信 医療介護情報CBニュース
魚拓

『元日本外科学会会長の門田守人阪大医学部教授は5月9日、「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」(会長・尾辻秀久元厚生労働相)の会合で、厚生労働省が設置を検討している医療安全調査委員会(医療安全調、仮称)が作成する調査報告書の取り扱いに関連して、「刑事責任の追及には違和感がある」と述べた。』

この部分は私の感覚と一致します。

『門田教授はこれに対し、個人的な考えと前置きした上で、「電車事故などは人間がつくった機会を人間が扱うことで起こる事故。医療事故は神がつくったものを人間が扱うことによって起こるものなので、全く違うものだ」と強調。その上で、「例えば大動脈瘤(りゅう)が切迫破裂したとして、手術しても、しなくても死ぬ。でも1割の確率でも助かるかもしれないからやる。これをどう読むか。やってみないと分からないが、機械的に処理できるものではないため、医療の世界で刑事責任を追及されることについては違和感がある」と主張した。さらに、もし刑事責任が追及されるようなら、「医療はますます崩壊する。万が一、助かるかもしれないとして実施する手術などを誰も手掛けなくなる。国民がそれを認めるかどうか、国民とディスカッションすべき」と述べた。』

まさに、我々がいわんとすることを表していると思います。機械の操作などは、高い確率で結果を予想できます。しかし、人間の場合はなかなか...。そして、手技は生命に直結するのです。神でない限り、100%を期待することはできません。

もちろん、故意の過失や、明らかに「それしちゃダメでしょ...」という事例は、対応を考えなければなりません。その線引きが難しいでしょうね。

これからの、日本の医療が萎縮せず、堂々と「患者さんを救うために努力できる」環境になることを希望します!

続きを読む "医療と刑事責任"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

問題の根源

2008年4月9日 雨

花散らしの雨です。しかし、おかげで鼻の調子は良好。

さて、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」は厚生労働省が主催する会議です。しかし、その議論は二転三転...そのproductの名前でさえも...医療事故調査委員会から医療安全調査委員会と変化を遂げています。その座長は刑法学者の前田雅英氏ですが...その議論の進め方などについてギモンを呈する声が大きい!

m3.comに掲載されている「医療維新」というコラム。4月7日分より抜粋します。

『大野病院事件は「重大な過失」「悪質な事例」か -“医療事故調”が警察に通知する事例を考える -』

『検察官の論告は、
 「基本的注意義務に著しく違反した悪質な行為であることは明らかであり、被告人の過失の程度は重大である」
 「産婦人科医としての基本的な注意義務に違反し、医師に対する社会的な信頼を失わせた」
 「被告人は、(中略)信用できない弁解に終始している」
 「こうした責任回避の行為は、(中略)医療の発展を阻害する行為であり、非難に値する」
 「被告人は被害者を自ら検案し、その異状を認識していたが、医師法に基づく届け出も怠った」』

医療の世界にドップリ浸かっていない検察の方々には、臨床の現場を理解しろというのは土台無理な話しでしょう。臨床的な実力があり、酸いも甘いも嗅ぎ分けた人間がこのような論告を行うべきです!とてもとても、こんな論告を飲み込む訳にはいきません!!!!(怒)

『論告の前には既に、被告の加藤克彦医師の産科手術に関する医学的観点からの鑑定意見が複数、公判廷に提出されている。検察は既に十分にこれら鑑定を吟味した。それにもかかわらず、検察は加藤医師の産科手術を「重大な過失」であると断じ、「悪質な事例」と評しているのである。』

もう既に救いがたいというレベルでしょう。善人であろうが、悪人であろうが....こき下ろすのが職務でしょうから....仕方がないでしょうか?

『重過失致死罪の記述に、「重過失とは、注意義務違反の程度が著しい場合を言う」、「わずかの注意を払うことにより結果の発生を容易に回避し得たのに、これを怠って結果を発生させた場合」とある。

 前田氏の記述に従うように、検察は大野病院事件の産科手術事例を「重大な過失」に当たると認定してしまった。公判廷で、無過失を証明する数々の医学者の鑑定が提出されたにもかかわらず。』

この記述が表しているのは、検察には公平な判断を求めることが難しい(特に、非常に専門性の高い医療等の分野では...)ということでしょうね。公平な判断を行うために、新しく「医療安全委員会」を作り、その判断で「刑事事件相当」ということになれば検察に回るという動きが理想的であるはずです。過失の有無に関わらず、残念ながら重大な事故に遭われた患者さん、そして家族の方々が、その処罰心情の大きさによって起訴相当かどうか?決められるようであれば、医療を施そうとする者たちはほとんどいなくなってしまうでしょう。

『厚労省は、医療死亡事故の死因究明などを行う、医療安全調査委員会の創設に向けて、4月3日に第三次試案を公表した。これは前田氏の検討会の議論を受けたものだが、今までの過程では、医療安全調査委員会が警察に通知する「重大な過失」の定義や範囲について、まともな議論がなされなかった。

 現に、その前田氏自身が、3月21日に開催された日本学術会議の公開講演会で、この点につき、「言葉の問題を正面に持っていくと議論が止まってしまう」と述べられたそうである。つまり、「重大な過失」の定義・範囲を議論しなかったのは、意図的なものだったらしい。』

重大な過失の定義がはっきりしないと、なんでもかんでも重過失にされる可能性があります。この、議論を避けるのはこの会議の存在意義を否定することにならないか?と危惧します。

『実体法が改正されず、法解釈にも変更がないとすると、大野病院事件に代表される産科手術事例も、「重大な過失」の典型例とされざるを得ない。最終的に裁判官がどう判断するかは不明だが、少なくても検察は「重大な過失」として扱っているからである。
 
 しかし、それでは巷で思われてきたことと、全く違ってしまう。今まで巷では、少なくても大野病院事件のような手術事例は、「重大な過失」には当たらない、と信じられてきたのである。』

恐ろしいことです。医療の現場では「過失なし」とうけとられる事例でも、裁判の場では「重過失」とされる。コワくて医療なんてやってられないと医師は感じるでしょう。

議論は尽くされていない。座長自らが、問題の根源であるということです。

続きを読む "問題の根源"

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2008年2月22日 (金)

錯綜

2008年2月22日 晴れのち雨
雨のためか...暖かい一日でした。

さて、昨日のエントリーに関連した動きです。厚生労働省の「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」(座長=前田雅英・首都大学東京法科大学院教授)はこれまで12回の会合を開いていますが、その議論は「会議は踊る、されど進まず」さながら錯綜を続けている様です。

「再発防止」に方向転換、議論が錯綜 2月22日21時20分配信 医療介護情報CBニュース
魚拓

『「個人の責任追及を目的とした制度」という批判がある医療事故調査委員会について、厚生労働省は「医療安全」や「再発防止」を目的とした制度であることを強調している。厚労省は「死因究明等の在り方に関する検討会」で、再発防止に重点を置いた「業務改善命令」や「再教育」などの行政処分を提案し、大筋で了承されている。しかし、医療界からの反発を受けて方向転換を図ったため、再び議論が錯綜してしまった。』

どうも、流れている情報を見聞きすると『医師を罰するための組織を作る』という感覚でみてしまいます。医療界は「大野事件」「奈良事件」を経験しているだけに、危惧する意識は強いといわざるを得ません。

『これまでの意見を集約すると、制度の目的として(1)真相の究明、(2)患者の納得、(3)再発防止、(4)責任の追及、(5)被害者の救済——などが挙げられている。
 厚労省が昨年8月に公表した中間的な取りまとめでは、「すべてのベースになるものが真相究明」としており、上記(2)〜(5)よりも真相究明を重視している。「真相究明」は「責任追及」につながりやすい。
 しかし、この検討会の第1回目を開催する前の「試案」(07年3月公表)の段階では、▽患者にとって納得のいく安全・安心な医療の確保、▽不幸な事例の発生予防・再発防止等——の2つが挙げられており、上記(1)よりも(2)と(3)に比重があった。』

真相の究明ができなければ医療事故を調査する意味はないでしょう。しかし、真相を確かめるためには自由に意見を言える環境作りが必要です。実際にはインシデントレポートなどで使われている考え方の「免責」ということが必要です。「真相を話したがために、自分に懲罰が下るということ」になると、真実はでてこなくなります。現在の医療水準に比較して著しくかけ離れた過失や故意により生じた医療過誤は処罰する必要があるでしょう。それを適確に判断でき、そして公平性を保った組織にするべきです。(これが難しいでしょうけど...。)

真相が上がってくれば、再発防止の観点で動くことが出来る様になるでしょう...。しかし、これも大きな仕事で、それなりの大きさをもった組織が必要です。

患者の納得については、早期に真相を解明し、必要であれば当事者による謝罪を行うことが必要で、患者さん側への精神的サポートも必要です。また、これが重要ですが「誤った事実に基づいて謝罪が行われるべきではない」ということです。不幸にして事故に見舞われた患者さんを支えること...これが重要なのではないかと感じます。そういった観点で行くと、事故に遭われた患者さんに近いところでの活動が重要で、日本の各ブロックに一つといった組織ではどうにもフットワークに欠ける様な気がします。むしろ、各病院内に専門部署を作り、残念な事故が起こった際に「すぐに患者さんのもとに行き、必要なフォローを行う」とした方がいいのではないかと思います。

『このように、「出口」(ペナルティー)の部分で再発防止に重点を置くならば、「入り口」(届け出の範囲)を広げる必要性が出てくる。事故の予防や医療安全に役立つのであれば、故意・重過失や悪質事例に限定せずに、軽過失の事例や判断が難しい事例を広く届け出る制度にする方が一貫するだろう。』

入り口を広げることには賛成です。多くの事例から、今後の糧とするべきです。しかし、そうすると、どうしても組織は肥大化します。肥大化すれば、当然「お金の問題」が絡んできます。しかし、日本は社会保障費よりも公共事業費が多い国です。再発防止で患者さんのためになるのであれば、そこにお金をつぎ込んでもいいのでは??と感じます。

『この日、東大病院救急部の矢作直樹部長が参考人として出席した。29事例の振り分けが適切かどうかについて意見を求められ、次のように答えた。
 「個々の事例ではなく、制度設計の問題について述べたい。医療安全の向上に資するためという目的であるならば、入り口では届け出を多くして、(届け出なかった場合の)ペナルティーを抑える。そして、出口の行政処分のところは社会常識的で妥当な結論に落ち着くようにすべきだ」
 その上で、矢作参考人は「厚労省のフローチャートと実際の事例にはかい離がある。このフローチャートだと、届け出が不要になる事例が多くなるのではないか」と述べた。』

この考え方には同意します。厚生労働省は、ここで入り口をしぼってはいけません。(その裏には、「お金の問題」があるんでしょうけどネ)

『今回、厚労省は「再発防止」を強調しながら、「届け出の範囲」を限定的にしたため、再び議論が錯綜してしまった。』

この委員会はきちんと作るべきです。それができなければ、日本の医療は衰退するでしょう....。

続きを読む "錯綜"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月12日 (火)

割り箸事故の民事訴訟

2008年2月12日 晴れのち雪
粉雪が舞っています。積もる様な雪ではありません。

1999年に割り箸を口にくわえて転倒し、残念なことに亡くなられた幼児の事故の民事訴訟判決です。
診察医師の過失認めず、遺族の請求棄却=男児割りばし死亡事故−東京地裁 2月12日15時31分配信 時事通信

『東京都杉並区で1999年、杉野隼三ちゃん=当時(4つ)=が割りばしをのどに刺し死亡した事故で、医師が適切な治療を怠ったとして、父の正雄さん(56)らが病院を経営する学校法人杏林学園(三鷹市)と医師に総額約8900万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、東京地裁であった。加藤謙一裁判長は「頭蓋(ずがい)内損傷を予見することが可能だったとはいえない」として、遺族の訴えを棄却した。遺族側は控訴する方針。』

咽頭部穿通性外傷は非常に怖い外傷です。咽頭部の裏には脳髄があり、その隔壁は非常に薄いのです。本例は、レトロスペクティブにみて頭蓋内に割り箸が穿通してあったのをCTで確認したとしても、救命できなかった症例であるとされているようです。もちろん、救命できるものであれば予見する必要はあると考えますが...。事故を予防するという観点も必要ではないかと感じます。

『棒や箸などの長いものを口にくわえる習慣を子供に付けさせてはいけません。』

事故予防の教育のときに我々小児科医は口を酸っぱくして言い続けています。

そして、幼児の死亡原因において最多なのは『不慮の事故』です。転倒や転落、窒息などの原因を除去しましょう。

この御両親の辛い気持ちが訴訟という手段以外で癒えますように...。願っています!

続きを読む "割り箸事故の民事訴訟"

| | コメント (4) | トラックバック (4)

2007年3月20日 (火)

死を選択する権利...

2007年3月20日 晴れ
我が国では、救命のために装着された人工呼吸器を外すことは、それを外したものに殺人罪として立件されるリスクを背負わせることになります。そして、世界をみわたすと、一部の国では「尊厳死」が認められているようです。「尊厳死」については、国内でもこれまでも議論されてはきているようですが、容認するグループと、絶対に容認できないグループがあり、なかなか一定した落としどころがないといった様相です。

さて、ALS: Amyotrophic lateral sclerosis, 筋萎縮性側索硬化症は筋肉を動かす指令を送る運動ニューロンという脊髄に分布する神経細胞が徐々に死滅し、自分の意志で筋肉を動かすことができなくなる病気です。発症や進行の仕方により病型が分かれますが、典型的には下肢より筋力低下が進行し、最終的には呼吸筋がおかされ人工呼吸がないと生命を維持できない状態となります。その一方で、知能や、精神、感覚に関しては、脳自体がおかされるわけではないので、最後まで維持され患者さんに大きな苦痛を与えます。
眼筋を含めた全随意筋が麻痺する状態を全随意筋麻痺(totally locked-in state = TLS)とも呼ばれていますが、まさしく死よりも辛い状態ではないのか?と感じます。

共同通信の記事

『2001年秋、神経内科外来の一室。中村久志(なかむら・ひさし)さん(仮名)は、病気が進行し、ほとんど動かせなくなった大柄な体をベッドに横たえ、思い詰めた顔で荻野医師に切り出した。首にあけた穴から人工呼吸器のチューブが伸びていた。
 「今からでも呼吸器を外したい」
 バス運転手だった久志さんを異変が襲ったのは前年、36歳の時。息苦しさが募り、別の大学病院で01年春に筋委縮性側索硬化症(ALS)と診断され、すぐに呼吸器をつけた。「つければ生きられる」と説明されたからだ。』

ALSは患者さんにも、そして、それを診療する医療者にも残酷な選択を突きつけます。人工呼吸を行うか?それとも死を選択するか?生命をながらえたとしても、徐々に進行する麻痺は、患者さんを脳の中に閉じ込めてしまうこともあります。

『荻野医師は何度も言い聞かせた。不自由な体でも前向きに生きる患者はたくさんいること。呼吸器を外せば外した人が殺人罪に問われかねないこと。「病気を嘆くより、生きることを考えよう」
 自宅で泰子さんの介護を受け、3カ月おきにショートステイ(短期入院)する生活が落ち着くと、久志さんは気力を取り戻した。パソコンを口で操作して友人とメールを交換。泰子さんらと温泉旅行にも行った。
 しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。』

現在では、自宅でもある程度までは管理できるようになってきています。しかし、時間ごとの吸引や、体位変換、その他諸々...介護力は必要です。パソコンはある程度までは使える様です。

『しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。
 泰子さんは診察のたび、荻野医師に手紙を渡した。「『おふくろ、もう限界だよ』と涙をぽろぽろ流します。私が連れていくしかないのでしょうか」。文面は深刻さを増していた。』

徐々に進行する病態。知能や感覚は保たれるだけに、辛いと思います。周りの方々も苦しい。特に介護する方は辛い...と思います。

『8月26日夜。泰子さんは自宅で久志さんの呼吸器を止め、包丁で自分の手首を切った。翌朝、荻野医師の携帯電話が鳴った。当直医からの緊急連絡。「久志さんが亡くなりました」
 「何で!」。全身の力が抜けた。自分にも3人の娘がいる。母が子の命を絶つなんて。「お母さんにやらせてしまった」。一命を取り留めた泰子さんは7日後、殺人容疑で逮捕された。』

日本には「尊厳死」という概念が法律上ありません。このような、治療法もない徐々に進行して閉じ込められてしまう疾患で、本人が「死」を希望しても、それを幇助するのは「殺人罪」としてのリスクを負うことになります。人工呼吸器で生きている患者さんは、まぎれもなく生きています。でも、その生命の質が非常に劣悪で堪え難いものであったならばどうでしょうか?

続きを読む "死を選択する権利..."

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月28日 (水)

民事と刑事のあいだのねじれ

2007年2月28日 晴れ

まずは、この事故で亡くなられた当時31歳の妊婦さんと御遺族の皆様に深甚なる哀悼の意を表します。

民事裁判と刑事裁判との間で、過失の認定に「ねじれ」があると感じることがあります。そして、この裁判でも...

『出産時の処置ミスで名古屋市の主婦=当時(31)=を死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた同市の産婦人科医K被告(48)の判決公判で、名古屋地裁の伊藤新一郎(いとう・しんいちろう)裁判長は27日、「被告に過失があったとは認められない」などとして、無罪(求刑罰金50万円)を言い渡した。』

この事件では、民事裁判では被告に7700万円の支払いを命じる判決でした。

『名古屋市港区の産婦人科で00年8月、同市中川区の主婦(当時31歳)が出産直後に死亡した事故を巡り、主婦の夫と長男が担当医らを相手取り、総額約1億 2700万円の損害賠償を求めた訴訟で、名古屋地裁は14日、担当医に計7700万円の支払いを命じた。加藤幸雄裁判長は「被告の個人診療所は(出産時の)大量出血に対す る必要な体制が整 っておらず、高次医療機関への搬送を決断すべき注意義務に違反した」などと述べた。』

判決の中にはこのような過失の否認が含まれています。

『伊藤裁判長は判決理由で、子宮の裂傷による大量出血が死因とした検察側の主張に対し「医師の証言などから、裂傷の存在には疑問がある」と指摘。設備の整った病院へ搬送しなかったことについても「転院させても確実に救命できたか疑いがある」と退けた。』

同じ事件を扱った民事裁判と刑事裁判。一方は「転院させなかった過失」を認め、一方では「過失があったとは認められない」との判断です。判断の基準が違うのか?法律に素人の私にはわかりません....。

さて、マスコミが報道した旦那さんの言葉...
『閉廷後、夫(33)は「過失がないなら、何で亡くなるのか。妻に報告できない」と話した。』

本当にこのようにお話になったのか?これは不明です。しかし、これだけは言えます。残念ながら、医療の世界では過失がなくとも命が失われることがあります。精一杯努力しても救えないこともあります。それが、医療の限界なのです。我々、医療者はこの限界を引き上げるべく、日々努力しますが...それでも所詮人間のすること、100%の安全を手にすることはできないのです。

続きを読む "民事と刑事のあいだのねじれ"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年2月 1日 (木)

理想と現実のはざま

2007年2月1日 晴れのち曇り時々雪

昼頃より急速に冷えました。曇天となり、ふと窓をみると雪が舞っていました。

さて、神奈川県掘病院で繰り広げられた、「無資格助産事件」。院長はじめ合計11人が書類送検されるという事態に発展しましたが、現在の周産期医療の状況を考慮して、起訴猶予となったようです。突然、降って湧いたような騒ぎが勃発し、日本の周産期医療に与えた影響は計り知れないものがあると感じます。しかし、あっけない幕切れです。

『最高検などと協議し、違法としたが、社会情勢から刑事罰を科すケースに当たらないと判断したとみられる。ほかの医療機関でも同様の行為が相次いで明らかになっており、捜査による医療現場の混乱回避を優先させたといえる。』

なぜ、このような大騒ぎをする必要があったのでしょうか?何か、裏で蠢くチカラを感じます。助産師さんが内診を行なうというのが理想ではあると感じますが、実際に現場では不足しているのであり、そして法に触れることかもしれませんが、実際には看護師さんが内診することで何とか現場は回っているのです。理想を追い求めることは必要でありそのための体制作りをするべきではありますが、すべてを厚生労働省の通達通りに摘発していくと、日本の周産期医療は破綻します。現実を認め、そして将来的にどこに落としどころを持っていくか?という見極めが必要であると考えます。そして、それは検察の方々ができる問題ではなく、国が責任をもって策定していかなければならないものといえます。

『内診について厚生労働省が02年と04年の2度、「看護師では違法」とした通達を出しているのが根拠となった。』

いつもそうなのですが...官僚の皆様方は、「現場を知らなすぎる」のでは?このような強制力のある通達を出せば現場はどうなるのか?出す前に考えてほしいと思います。しかし、これで本当に終わるのだろうか?ちょっと心配です。

続きを読む "理想と現実のはざま"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 6日 (土)

延命治療についての記事

2007年1月6日 曇り
寒風吹きすさぶ状況です。夜半には、九州でも雪になるところがありそうとのこと...。

延命治療とその中止については、これまでも多くの事件で問題となってきました。最近では富山県射水市民病院で終末期の患者さんの人工呼吸器を止めて7人以上の方が亡くなっているとのことが話題となり、殺人罪を含めた刑事訴追を検討されるとの事態が起こりました。一旦はじめた人工呼吸は現在の日本では「止めることが許されない」ものとなっています。

さて、某医療系掲示板からの記事です。ソースは共同通信。

「「誰も幸せにならない...」 延命治療、医師も苦悩 「自然な最期を」と妻子 (3) 」(共同通信 1月5日)

『首都圏の民間病院では約10年前、呼吸器を外した経験がある。重い脳出血で運ばれた60代の男性は、脳の損傷がひどく意識の回復は望めない状態。自発呼吸はわずかに残り、酸素の不足分を呼吸器が補っていた。病状説明を受けた妻は延命中止を望み、成人した子供たちも同じ意見だった。
 「呼吸器を外したら早晩亡くなりますよ」「自然な形でみとりたいんです」。主治医は家族と話し合い、希望を受け入れた。男性は約2週間自発呼吸を続け、死亡した。』

恐らく、脳幹部のみ僅かに生き残った状態で、いわゆる「植物状態」の患者さんであったと思われます。気管チューブを挿入しているか?気管切開を行ないチューブを入れておけば、舌根の沈下による気道閉塞もなく、人工呼吸器を外しても直ぐには死に至らない状況であったのではないかと考えます。
ここでは、患者さん本人の意思は確認できませんが、家族は人工呼吸器を止めることに同意しています。このようなケースで人工呼吸器を止めるのは許されることか?医師に法的な擁護があるのか?現状では「曖昧」です。しかし、実際にはこういった症例は数多くあり、全国の医師たちは「どのように対応すべきであるか?」悩み続けているのではないかと感じます。

『中部地方の公立病院の医師は「以前勤めた病院でも今いる病院でも、呼吸器を何度も外した」と打ち明ける。救急搬送されれば取りあえず呼吸器はつけるが、脳の機能回復が望めない患者や末期がんと判明した場合、家族が望めば外すという。
 「同僚や先輩医師が外すのも見たことがあるし、家族が泣いて頼んでも知らないふりをして延命を続ける医師もいるだろう。どちらもつらいし、ルールがない中でみんな悩んでいる」』

救急の現場では本人や家族の意思を確認することは不可能に近く、状態が悪ければ人工呼吸をはじめるのは仕方がないことです。現状では一旦付けた人工呼吸器を外し、それが原因で死に至った場合、医師は殺人罪を視野にいれて立件される恐れがあります。「家族がのぞめば外すという」ことは非常に危険な行為でないかと考えます。ルールを作ることは非常に難しいと思いますが...逃げてばかりで検討しない訳にはいきません。

『北陸地方の民間病院の医師は「植物状態になった場合に患者を支えなければならない家族の経済的状況も踏まえ、『あうんの呼吸』で家族の気持ちを察するのが医療従事者の大事な役割」と回答用紙につづった。』

『あうんの呼吸』で呼吸器を外した医師が、マスコミから虐待を受けました。気持ちを察して行動してあげたいのですが...自分の身のことを考えると、「できない」というのがホントのところではないでしょうか?

続きを読む "延命治療についての記事"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月18日 (月)

医療訴訟と鑑定医

2006年9月18日 曇りのち雨
台風は通り過ぎましたが、午後より雨になりました。今日は一日freeです。が、先ほど感染性腸炎と思われる患者さんが入院。診察と指示をしてきました。

さて、拙ブログ:大野事件の続きには多くのコメントを寄せていただき、ありがとうございますした。一部、私の言葉が足りなかった部分がありましたので、ここで補足させていただきます。

福島県立大野病院での産婦人科医逮捕事件は、これまでの報道及び種々の情報収集から考えると、業務上過失致死、及び医師法違反により、逮捕拘留されたことについては不当であったのではないかと考えています。そして、私が、このブログを書き始めようと考えたきっかけは、「この事件が起こったから」にほかなりません。

このブログの冒頭、2つ目の記事に医療の限界という拙文がありますが、この中で
『医療上のミスを隠蔽したり、功名心にとりつかれた末に起こった事故や現時点での医療のレベルに著しく遅れた処置によって起こったできごとは許すべきではなく、当事者に厳正な処分が必要と感じますが...臨床医が『患者さんのために精一杯がんばったのだけれども、結果として亡くなられてしまった』というような事象に対して、刑事罰をもってのぞむのは余りに慈悲のないことだと思います。』と述べました。
一定のレベルをもった医師が、「これはあんまりだ。」「この事故には医療側の過失がある。」と判断するものについては、法的に制裁が待っている。これは当たり前のことですし、そうすべきであると考えています。

鑑定医については、どういう経緯で選ばれるのか?については、余り詳しくはないのですが...鑑定医と協力医について考えたことがあり、拙ブログ:協力医について拙ブログ:医療崩壊に対する対策2にいろいろな議論があります。

その中のコメントの一つモトケンさま(元検事で現在弁護士をされています)のコメントを引用させていただきます....
『法律家というものは、他の専門分野についてはかなり権威に弱いです。
 というか権威を頼る傾向があると言ってもいいと思います。
 つまり、医療過誤問題については権威のある(ありそうな、または、あるように見える)医師の見解を重視することになります。
 医学または医療に無知な検察官としては権威しか判断基準がないとも言えます。
 また、これは本来客観義務を負っている検察官としてはとてもまずいことなのですが、被疑者寄りの意見は信用しない傾向があります。
 私も年を取ったせいか、最近の若い検事には特にその傾向が感じられます。
 臨床の場での過失の有無・程度は臨床の実情・実態を前提にして判断すべきであるのに、ご指摘のように臨床と乖離した「権威のある」判断を示された場合は、検察の判断が単に臨床の感覚とずれるだけでなく、誤った、つまり過失を否定すべきであるのに肯定する判断をしてしまう蓋然性が高くなってしまいます。
 とりあえずこれに対する対処としては、被疑者の立場に立たされた医師を応援するために、極めて多忙とは思いますが、多くの臨床医が意見書を作成して検察に提出することが考えられます。
 しかし多くの意見書が集まったとしても、上述の理由により1通の名誉教授の肩書きのある鑑定書には負けるかもしれません。

 元検の立場としては、現役の検察官が現場の声に耳を傾ける謙虚さと自らの判断の影響力を洞察する視野の広さを持つことを祈っております。』
というコメントから考えて、やはり大学教授等の社会的に権威がある医師に依頼することが多い様です。

また、東海地方の医事紛争を手がけている弁護士さんは、どうも上越地方の大学教授?に鑑定医を依頼することが多いのではとの情報もあります。

ここからは、私見でありますが....我々、一般臨床医が日常行っている診療レベルで「過失あり」「過失なし」の判断を下すべきであると思っています。クーデルムーデルさまの経験された一件は、まさに一般の診療レベルで判断する事例であると思っておりますが....鑑定となると、記名を行い裁判で有効となる文書を書く行為です。いろいろな影響を考えると、難しい決断を要すると考えます。
記名なしで、コメントを寄せる医師は鑑定医に対して協力医と呼ばれることが多い様ですが、これも相当不足している様です。一般臨床をしている医師が多くこれに参加して、一定のレベルの判定を下すことができるようになれば現状を打開できるかもしれません。

すいません、長文となりました。^ ^;

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年9月16日 (土)

大野事件の続き...

2006年9月16日 雨
非常に強い台風が近づいてきています。現在のところ中心気圧は925ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は50m/sと勢力は保持したまま、九州に接近中。予想では「直撃」コースです。以前の台風で私の勤めている病院は病室のガラスが割れ、患者さんがケガをされたことがありました。今回はそういったことがなければ良いが...と案じています。

さて、大野事件の続報が...ソースは「毎日新聞」。

大野病院医療事故:裁判所が争点初提示 初公判12月に−−公判前整理手続き /福島(毎日新聞)

『◇第3回公判前整理手続き
 県立大野病院で帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、K被告(39)の第3回公判前整理手続きが15日、福島地裁であった。今回は裁判所から初めて争点についての考えが示された。手続き終了は11月となり、初公判は12月にずれ込む見通しだ。
 手続きでは、裁判所から「胎盤の癒着がわかった段階で、大量出血を予見して剥離(はくり)を中止し、子宮を摘出すべきだったか」が主たる争点との考えが初めて示された。これについて弁護側は手続き後の記者会見で、「止血をするために胎盤をはがすことは臨床では当然のことで、出血を放置して子宮を摘出することは危険だ」と主張した。これに対し検察側は、「大量出血をする前に子宮を摘出すべきだと主張しており、(止血することが重要だとする弁護側の主張は)前提となる事実が異なっているように思われる」と話した。
 次回は10月11日に行われ、弁護側が主張を記載した「予定主張等記載書面」を改めて提出する。11月10日に検察側が意見を述べて手続きを終了する見込みだ。』

記事は一部、加工しております。
「胎盤の癒着がわかった段階で、大量出血を予見して剥離(はくり)を中止し、子宮を摘出すべきだったか」とのことですが、癒着胎盤がはっきりしたのはどの時点であったのか?これは論点にならないのでしょうか?
私は、小児科医で専門外なのですが、子宮から胎盤が「はがれにくい」ことは本当に稀なことで、そのほとんどが癒着胎盤なのでしょうか?

若い、妊娠可能性のある女性の子宮を摘出するということは非常に高度な判断ではないのか?と思ってしまいます。検察側の「大量出血をする前に子宮を摘出すべきだ」という主張は、スジの通ったものですが...実際の臨床の現場ではどうでしょうか?自分であればいわば「身を切られるような」判断となると感じます。

続きを読む "大野事件の続き..."

| | コメント (7) | トラックバック (2)

2006年9月 5日 (火)

脳梗塞という言葉

2006年9月5日 晴れのち雨
なにかジメジメしています。徐々に気管支喘息の児が増えてきています。秋口はシーズンです。

さて、用語の問題?と思われる記事です。医療過誤の報道に長けている毎日新聞から...
医療過誤訴訟:金沢大病院「過失ない」争う姿勢−−地裁で口頭弁論 /石川(毎日新聞)

『金沢大付属病院(金沢市)に入院していた小松市の女性(59)が、脳こうそくを発症して神経に障害が残ったのは病院側の治療後の措置に過失のためとして、同大相手に1億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、金沢地裁(倉田慎也裁判長)であった。金沢大側は「過失はなかった」として争う姿勢を見せた。
 訴状によると、女性は01年12月10日に心不全で同大に入院。心臓検査のため、頸(けい)静脈にカテーテルを挿入した。同13日にカテーテルを抜いた後、ベッド交換のために移動したところ、挿入口から多量の空気が静脈に入り、脳こうそくを発症。付き添い介護が必要な後遺症が残った。
 病院側はこれに対し、▽発症したのは脳こうそくではなく、脳塞栓(そくせん)▽カテーテルを抜去後の処置は医学水準に合致した手法で、挿入口から空気混入は考えられない▽ベッド交換が直接の原因とは断定できない——などと反論した。』

脳梗塞という言葉を調べてみると...「脳血栓と脳塞栓の総称。脳に酸素と栄養を供給している動脈が細くなったり詰まったりして、その先に血液が流れにくくなる疾患。」とあり、脳梗塞の範疇の中に脳塞栓は入ることとなります。
「▽発症したのは脳こうそくではなく、脳塞栓(そくせん)」と病院側が説明したとありますが、これは「発症したのは脳梗塞の中の脳塞栓」といったのではないかと思います。

また、患者さんには心不全があり、心臓の中での血流が低下している可能性があります。そうすると、心臓の中で血栓が形成され、それがとんで脳の血管の太い部分に詰まり心原性脳塞栓という重症の脳梗塞を起こすことがあります。

そして、なにより頚静脈から空気が入った場合、まずは上大静脈から右心房に入り、右心室を経由して肺動脈から肺に空気塞栓が起こるのが普通のような気がするのですが...これは、専門の循環器の先生に聞かないとはっきりしませんね...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 1日 (金)

死は避けられたか?

2006年9月1日 晴れ
今日から新学期。そのためか、外来はスキスキでした。

神戸新聞に以下の記事が載っていました。

県立淡路病院 患者死亡、4100万円賠償(神戸新聞)

『兵庫県立淡路病院(洲本市)で抗生物質の投与を受け、直後に死亡した淡路島内の男性=当時(62)=の遺族らが「病院が適切な措置を怠った」として、県を相手に約六千百万円の損害賠償を求めた訴訟で、神戸地裁の橋詰均裁判長は三十一日までに、県に約四千百万円の支払いを命じる判決を言い渡した。県は控訴せず、判決が確定した。
 判決によると、男性は二〇〇四年三月、前立腺がんの疑いで同病院に入院。患部の組織の一部を採取する検査に備え、抗生物質の点滴を受けたところ、直後にアレルギー反応による「アナフィラキシーショック」に陥り、三日後に死亡した。
 橋詰裁判長は「看護師がすぐに点滴を中止し、医師が処置すれば、患者の死は避けられた。看護師はアナフィラキシーの危険性の認識が十分ではなく、医師も容体の異変を知りながら病室に駆けつけなかった」として、原告側の訴えを認めた。
 中島英三・県病院局長は「裁判において県の主張が認められず、大変残念。判決内容を真(しん)摯(し)に受け止め、今後いっそう医療安全対策の強化に努めたい」とコメントした。
 男性の妻は「同じような不幸が起きないよう、病院職員は緊張感をもって従事してほしい。そうでなければ、本当の勝訴にならない」と話している。判決確定を受け、遺族側は、県に謝罪や再発防止策の徹底を求める申し入れ書を提出した。県は「対応を検討中」としている。』

アナフィラキシーショックは即時型アレルギー反応の最重症型で、全身の血管壁の透過性亢進が起こり、じんましん、喉頭浮腫、循環不全(ショック)などが起こる、臨床的に最も恐ろしい状態の一つとされています。その原因は多岐にわたり、食物や動物、昆虫の毒、薬などあらゆるもので起こる可能性があります。
抗生物質とアナフィラキシーショックとの関連は古くから指摘されており、以前は「皮内反応」という、ごく少量の(これから使用予定の)抗生物質を皮内に注射して、赤く腫れてこないか?をみていました。しかし、この方法では「これからアナフィラキシーショックが起こること」を予測することができないことが多く、また、赤く腫れたとしても本当にアナフィラキシーショックが起こるのは、ごく一部であることもわかってきました。
そして以前のことですが、抗生物質使用前にこの皮内反応をせずに投与したことが、患者さんの死につながったとのことで争われた訴訟もあった様です。(今は、皮内反応をしなかったということで争われることはなくなったと思われます。日本感染症学会が抗生剤使用についてガイドラインを呈示したからです。)

さて、この記事からは充分な情報がありませんので、どういった状況であったか?は、はっきりとはわかりません。ただ、裁判長のことばに「看護師がすぐに点滴を中止し、医師が処置すれば、患者の死は避けられた。看護師はアナフィラキシーの危険性の認識が十分ではなく、医師も容体の異変を知りながら病室に駆けつけなかった」とありますが...医療に100%はありません。「患者さんの死は避けられた。」というのははっきりいって嘘です。医療に絶対はないのですから....「患者さんの死を避けることができた可能性が高い」というのであれば納得できます。

コメントの最初の段に申し上げましたが、アナフィラキシーショックは臨床上、最も恐ろしい状態の一つです。あらゆる手を尽くしても、最終的に死の転帰をとることも充分にありえる状態です。そして、抗生物質を投与した時にアナフィラキシーショックが起こるのを予見する方法は現時点ではありません。(ただ、可能性が高いことを予測する方法はあります。それは充分な病歴聴取です。)そして、一旦起これば、迅速かつ適切な処置で患者さんを救えることもあれば、残念ながら救命不可能な場合もあります。

「医師も容体の異変を知りながら病室に駆けつけなかった」何か別の駆けつけれなかった事情があったのでしょうか?それがなくて、駆けつけなかったのであれば充分に責任はあるものと考えます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月31日 (木)

blog紹介その2

つづいて、トラックバックを受けたブログの御紹介。

東京女子医大病院で心房中核欠損症の手術時にポンプのトラブルにより患者さんが亡くなった事件で、業務上過失致死罪に問われ第1審にて無罪を勝ち取った先生のブログです。

今回の記事は、留置場、拘置所の状況について、当時の状況を細かく紹介されています。非常にバイタリティーにあふれる心臓外科医である彼は、その留置場での生活をも客観的に振り返っています。
「必読」と感じます。

紫色の顔の友達を助けたい:獄中執筆記-傷害防止特殊ボールペンによる医学書院「医学大事典」の執筆-

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月17日 (木)

協力医について

2006年8月17日 雨
台風が接近しており、ずいぶんと激しい雨になりました。先ほど、病院に呼ばれた時はちょっとスゴい降りでした...
心肺蘇生の話題も記事にしたいのですが、ちょっと時事の話題や、法曹界の方々のブログに触発されて、なかなか進みません...^ ^;

さて、拙ブログ:医療崩壊に対する対策にも記述しましたが、「現在の医療訴訟に大きく影響するのは事故を鑑定する鑑定医や協力医である。」ということがわかってきました。(というより、ずっと前から指摘はされているのでしょうが...)第一線で働く、一般の臨床医が医療の現状と照らし合わせて鑑定を行うべきなのではないか?とも思っています。

コメントをいただいたYosyan先生からは...「一般の臨床医の協力医を増やすべきである。そして、鑑定の透明性を確保すべきである。」との主旨の御意見をいただきました。
また、モトケン先生からは...「(略)とりあえずこれに対する対処としては、被疑者の立場に立たされた医師を応援するために、極めて多忙とは思いますが、多くの臨床医が意見書を作成して検察に提出することが考えられます。(略)」との言葉をいただき、やはり協力医の中に一般臨床に携わっている医師が増えることが必要ではないかと受け取れる御意見です。

さて、一般臨床に携わる臨床医は非常に多忙です。これは、臨床家が協力医になることを妨げている大きな原因と思われますが、これ以外にも何か妨害するような原因はありそうです。また、どうすれば臨床医が参加できやすくなるのか?考えてみたいと思います。この記事を読まれた方で何か御意見を持っている方、どうぞコメントしていってください。私も前向きに考えを進めていきたいと思います。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2006年8月15日 (火)

医療崩壊に対する対策2

2006年8月15日 晴れ
昨日に引き続き、このタイトルでの記事です。
元検弁護士のつぶやき:医療崩壊に対する制度論的対策についてでは、活発な論議が繰り広げられています。

昨日の記事の中で、検察の方々について少し苦言を呈させていただきました。内容は以下に示しますが....
『医療を勉強したことのない方、そして臨床の経験のない方には、恐らく「医療は100%でない」「医療の不確実性」ということは、頭ではわかっていても、心底理解されるということは難しいと考えます。今回の不当逮捕においても、本当に現場のことを理解して逮捕に踏み切ったのか?理解しがたいところがあります。』

考えてみれば、検察の方々は法律のプロであって、医療には当然、門外漢です。そして、臨床経験が豊富なヒトはほとんど皆無といっていいのではないかと思います。そこで、医療事故がおこったとき「これが果たして医療過誤なのかどうか?」を判断するには、しかるべきところに諮問すると思います。諮問する先は、鑑定医といわれる医師です。この鑑定医先生が「これは過誤であって、起訴すべきである」とすれば、検察の方々は準備を進めるのだと考えます。
そうすると、現在の状況の中で不当な扱いを受けている医師が増えているとすれば、その責任は鑑定医にあるのではないかといえます。恐らく鑑定を依頼される医師は、◯●大学の×◎科学教授や名誉教授などとそうそうたるメンバーであるのではないのか?とも考えていますが、一般の臨床たたき上げの医師とは明らかに意見の相違が生じそうです。大学は本来研究を主にやってきた組織であり、臨床をバリバリやっているというより、一般の臨床医がやらない最先端の医療を施すといったところではないか?と考えます。一般的な病気を数多く診ているのは大学にいる医師ではなく、一般の臨床医です。そして、一般的な臨床の感覚をもっているのは、一般の臨床医です。
鑑定が一般の臨床医でなされたときと、立派な大学教授でなされたときとの間に、自ずと違いが出るのではないか?これは、以上のことからすると容易に推察されることです。現在の日本では風土のせいもあるとは思いますが、鑑定医や匿名での意見を寄せる協力医が不足している様です。臨床をバリバリやっている、第一線の臨床医が多くこれらの鑑定医や協力医に参加することができれば、これらの問題は緩和できるでしょう。(もちろん、一般の臨床医のうち多くは協力医や鑑定医を受けるほどの時間的余裕がないものとは思いますが....)

将来的には現在の鑑定医や協力医を集めて、更に人数を拡大し、一つの科の一つの事件に対してその専門医の10人程度の意見を聞くことができるような組織になり、それを発展させて医療事故を検証する第3者機関となれば良いのではないかとも考えます。それを実現するには医療事故を検証する医師がもっともっと多く必要です。

話はちょっとそれますが、聞いた範囲での話では協力医はいろいろな形での参加ができる様です。法廷で有効となる鑑定には鑑定人の自署が必要ですが、その他の意見書には必要ない様です。そして、これら意見書には法的な拘束力はなく、弁護士などが訴訟を起こすかどうか?を見極めるツールとなるようです。ここで、中立な意見(医療者側にとっても公平なものです)を提出するといった地道な努力を積んでいけば、不当な逮捕や不当と感じられる判決、そして、医療訴訟自体を減らすことができるのではないか?とも考えます。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年8月14日 (月)

医療崩壊に対する対策

2006年8月14日 晴れ
暑いです。

元検弁護士のつぶやき:医療崩壊に対する制度論的対策についてという、元検事で現在は弁護士をされている矢部先生のブログの記事からトラックバックを受けました。

制度論というとちょっと難しいですが、現在までに考えてきたことをまとめてみたいと思います。

まず、日本の医療をとりまく環境です。拙ブログでも、とりあげてきました。まず、医療費は対GNP比で7.6%程度。アメリカは12%以上で日本の約2倍、医療崩壊を来しているとされるイギリスでは6%代でした。また、人口1000人に占める医師の数はWHOが調査しており、OECD加盟国の中で最低のレベル。病院1ベッドあたりの職員数はアメリカの約1/5であるとされています。そして、医療のoutcomeを示す指標の一つ、平均寿命は御存知の通り世界1です。
まとめると、日本の医療は人員が制限され、そして安く仕上がっており、その成績はなかなかのものである。ということでしょうか?ただ、これには患者さんの満足度という指標は入っていません。恐らく、満足度という観点で行くとかなりレベルは低いのではないか?と思います。(私見です。)
でも、それはある程度は仕方のないことかもしれません。ギリギリの人員で病院を運営しているため、職員はテンテコマイです。看護師さんはいつも走っています。医師もベルトコンベアーのように流れてくる仕事をこなさなければなりません。そうまでしないと、食べていけないのです。日本の診療報酬体系では....

ここまで述べてきたように、日本の医療の現場はギリギリの状態です。しかし、厚生労働省は「もっと効率化せよ!」「医療費を減らしなさい」とのかけ声をかけつづけています。そして、先進国のなかでみると最低レベルの(人口あたり)医師数を、「医師は足りている」といってゆずりません。
政策医療を行ってきた公立病院は効率化を求められ「地方公営企業法全部適用」「独立法人化」ととにかく、収益をあげるに血ナマコになっています。
このような状態のなかで、モチベーションを保っている医師はどのくらいいるのでしょうか?

さらに、マスコミが追い打ちをかけます。医療の現場は、非常に高度な判断を求められ続ける場所です。各々の患者さんにおいて、疾患が同じでも100%同じ状態はありません。一つ一つが違うのです。経験の豊富な臨床医でも、その医療事故の現場にいなければどのような状態がおこったのか?なぜ、このような結果になったのか?類推することはできても、決めることはできません。それを、医療について決して詳しいとはいえないマスコミの記者が記事にします。そして、時代は「医師をたたく」流れです、医師に対して温情的な報道は寡聞であるといえますし、「マスコミから虐待をうけた多くの医師」たちがいるといえます。
そして、医師のモチベーションは更に下がります。

最後に、医療過誤の場合の法曹界の対応です。福島県立大野病院産婦人科医不当逮捕事件を例としてあげざるを得ません。この事件は、癒着胎盤という非常に稀なそして救命しがたい、さらに予見しがたい状態において、新生児を救命することはできたが、残念ながらお母様を救うことができなかったという事例において、事件から実に1年以上経過した時期に、業務上過失致死、医師法違反(異状死体届出義務違反)という通常では考えられない、医師であればほぼ全員が不当であると声をあげるような罪状で、しかも通常診療中にマスコミの目の前で手錠をかけて連行するというようなものでありました。そして、逮捕の理由、その罪状についても、医療サイドからすれば到底納得のできるようなものではありませんでした。
検察の方々は、法律については一生懸命勉強され、その道のプロであるといえます。しかし、こと医療に関しては臨床の経験のある方はほとんどいらっしゃらないであろうと考えます。医療を勉強したことのない方、そして臨床の経験のない方には、恐らく「医療は100%でない」「医療の不確実性」ということは、頭ではわかっていても、心底理解されるということは難しいと考えます。今回の不当逮捕においても、本当に現場のことを理解して逮捕に踏み切ったのか?理解しがたいところがあります。

以上、現状での問題点を列挙したつもりですが...その、解決法としては...
1.医療の効率化を進めることも重要かもしれないが、良質な医療にはある程度のお金がかかることを理解し、必要な部分には潤沢な医療費を費やすべきである。
2.医師や病院職員は不足しているとの認識を厚生労働省は持つべきであり、その確保のために医師、看護師養成数を増やすことも考慮に入れて検討すべきである。
3.マスコミには感情的な医師バッシングではなく、冷静に事件とその裏側にある問題を探り出し報道につなげていただきたい。
4.法曹界の方々(特に検察の方々)には、もう少し医療の現場を知っていただきたい。医療には不確実性があり、100%でないことを特に認識していただきたい。その上で、明らかな医療過誤とそうでないものを見極めていただきたい。それができないのであれば、医療事故を専門に検討する部門を作り、そこに臨床経験豊富な医師などを集めて判断させるべきである。
などが挙げられると思います。

更に、最近の話題からですが....
日本の法制度の問題点として、「過失の存在しない医療事故」については補償されないというものがあります。特に、児に高度の障害が残る、「脳性麻痺」については現在までの研究で、出産時におけるトラブルが影響しておこったものは非常に少ないとの結果がでています。そのように、誰の過失も存在しないものについては、公的に補償するという制度→無過失補償制度を早急に導入すべきであると考えます。これに対しては、医師のモラルハザードがおこるという意見などが根強くあり、導入までまだイバラの道とも考えますが、私の考え方からいうと、「まずは後遺症をもった児に対して補償をしてあげることが最優先である」と思っています。この制度の第一義的な意味は患者さんのためであって、医師の云々は二の次であるということです。

以上、なんだかちょっとわかりにくいまとめとなりましたが、『医療崩壊に対する制度論的対策』についての考察です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年8月12日 (土)

無過失補償制度

2006年8月12日 晴れ一時雷雨
今日も来ました、夕立。雷を伴って、バケツをひっくり返したような雨でした。

「無過失補償制度」は、「医療行為自体に過失がない場合で、医療事故が生じてしまった場合、公的にその患者さんに対して補償する制度」と理解しています。今回紹介する記事は、脳性麻痺に対する補償制度の確立を厚生労働省に提言したというものです。脳性麻痺は出産時の仮死状態などでも生じる可能性はありますが、現在の進歩した産科医療のなかでは、そのうちの多くが「出産時の原因で生じるものではない」ということです。

日本の法制度の中では、医療側に過失がない場合、患者さん側が大きな後遺症を持つことになったとしても、補償されません。特に、脳性麻痺の場合、障害をもって産まれた児を養育するには、多額の費用が必要ですし、両親の大きなエネルギーも必要です。医療側に過失のない場合はこういった患者さんの場合も補償の対象にはならないのです。当然、辛い、苦しい生活が待っています。場合によっては、「この児を産まなければよかった」などと考えてしまうこともあるでしょう...。

脳性麻痺はある一定の確率で生じてくることがわかってきています。その患者さんに対して、「医療側の過失の有無にかかわらず、一定額の補償をしましょう」という制度の提言です。

出産時事故で障害、公的補償制度要望(読売新聞)

「医師会、原案公表
 日本医師会は、出産時の事故で脳性マヒとなった重度の障害者に、医師の過失の有無にかかわらず補償金を支払う公的な「無過失補償制度」の原案をまとめ、8日公表した。
 厚生労働省に同案を提出し、法制化を要望している。
 生後5年までに一時金2000万円を支払い、6年目以降は介護料や逸失利益を年金形式で支払う内容。基金の財源は、国から年間60億円の支出を受けることを想定し、妊産婦からの負担も検討している。しかし産科医の自己負担については「国民の同意が得にくい場合は、1分娩(ぶんべん)1000円を集める」と触れるにとどまり、厚労省は「当事者同士の負担が当然で、国費負担はなじまない」としている。
 この制度は、訴訟による負担を敬遠し、産科医のなり手が減っていることなどから同医師会が導入を検討している。」

個人的に、こういった制度は必要であると考えますし、実現すべきと考えています。しかし、この記事からは読者に少し誤ったイメージを伝える可能性があります。

<出産時の事故で脳性マヒとなった重度の障害者に、>という部分がありますが、脳性麻痺の原因の多くは出産時の事故とは関係ない様です。

<厚労省は「当事者同士の負担が当然で、国費負担はなじまない」としている。>という部分がありますが、この制度自体は「過失の無い事故により生じた脳性麻痺の児を救済するための制度」であるのではないかと考えます。この目的のどこが、国費負担がなじまないのでしょうか?首を傾げたくなります。

<この制度は、訴訟による負担を敬遠し、産科医のなり手が減っていることなどから同医師会が導入を検討している。>という部分も、この制度の目的は「過失の無い事故により生じた脳性麻痺の児を救済するため」ではないかと思います。明らかに産科医の救済とは違う目的であるものなのに、この記事では産科医の救済のためにこの制度を提言したようなイメージを読者に与えます。

マスコミから流れる情報は色が付けられていると感じます。

続きを読む "無過失補償制度"

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年8月 8日 (火)

情報の不足2

2006年8月8日 晴れ
台風が3つ近づいている様です。そのうち一つが上陸しそうです。
小児の心肺蘇生については第3話まで進んでいますが、最近の報道を読むとどうしてもそちらについて意見を書かざるを得ません。

今回も情報の不足、そしてマスコミの論理誘導の感を否めません。
まずは、今回の報道に出てくる、亡くなられた新生児の患者さん、及び、その御遺族の方々に深い哀悼の意を表しますとともに、医療がこの限界を超え進歩し続けることを望みます。
分娩で頭蓋骨骨折、新生児死亡=愛育病院、医療ミスか−警視庁(時事通信)

『東京都港区の愛育病院(中林正雄院長)で、器具を使って分娩(ぶんべん)したところ、新生児が頭蓋(ずがい)骨骨折の仮死状態で生まれ、翌日に死亡していたことが8日、分かった。同病院が警察に適切な届け出をしていなかった可能性もあり、警視庁麻布署は医療ミスの疑いもあるとみて、業務上過失致死容疑で病院側から事情を聴いている。
 調べでは、6日午後5時すぎ、病院内で港区の女性(38)が女児の出産を開始。同9時ごろ、出産が長時間になり、母子に負担が掛かると判断した男性医師(31)が、鉗子(かんし)を使い新生児を挟んで取り出す方法を選択したが、約30分後に頭蓋骨が骨折した状態で生まれ、7日午前9時20分に死亡が確認された。』

鉗子分娩は文字通り、赤ちゃんの頭を鉗子でつかんで外に引っ張り出す手技です。吸引分娩という方法は陰圧をかけたカップで頭を引っ張って分娩する方法です。(因に私自身も吸引分娩で産まれたとのことです。)この記事からは情報不足のため伺えませんが、鉗子分娩で分娩させなかった時にはこの新生児はどうなっていたのか?これが問題です。明らかな胎児仮死徴候があって、児頭がかなり下りてきている場合は、鉗子分娩で引っ張り出すこともあるのでは?と考えます。そして、分娩が成功しない場合はどうなるのか?この場合も「死」が待っているのではないかと思います。

また、もう一つ決定的な情報不足は頭蓋骨の骨折と新生児の死亡との間に因果関係があるのかということです。周産期仮死が原因で亡くなったのであれば、この記事は誤ったイメージを読者に与えることになると思います。

続きを読む "情報の不足2"

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年8月 6日 (日)

情報の不足

2006年8月6日 晴れ
昨日が地域の輪番だったため、今日はoffです。

マスコミに流れる記事は、意図的に情報を不足した状態で流されているのでしょうか?
まずは、この一件の中で尊い命を失われた、女性とその遺族の方々に対して哀悼の意を表します。

記事は病院で点滴後死亡 「医療ミス」と高砂市を提訴(神戸新聞)です。

『高砂市民病院で点滴治療を受けた同市内の主婦(59)が死亡したのは同病院が健康状態の把握を怠ったためとして、遺族が五日までに、病院を運営する高砂市に対し、総額約二千四百万円の損害賠償を求める訴えを神戸地裁姫路支部に起こした。
 訴状によると、主婦は今年二月十日、右足の人さし指が紫色にはれたため高砂市民病院に入院。点滴治療を受けたが、頭痛を訴えたため治療を中断した。その後、病院は健康状態を把握する検査をしないまま別の薬で点滴を再開したが、容体が急変し、検査でくも膜下出血が判明。加古川市の病院に移り手術を受けたが、同二十四日に死亡したとしている。
 原告側は「病院は副作用などを防ぐ措置を怠った。健康状態を把握する検査をせずに、薬を変えただけで点滴を再開したのは重大な過失がある」と主張。病院側は「弁護士と対応を協議しておらず、現段階ではコメントできない」としている。』

情報として足りないのは、1.どういう病気で右足の人差し指が腫れたのか?、2.それに対しどういう治療をおこなったのか?(具体的には点滴の内容)、3.頭痛はどういったものであったのか?(くも膜下出血を疑わなければならないような危険な頭痛であったのか?)、4.変更した治療薬は何であったか?(くも膜下出血を助長させるようなものであったか?)、5.容体が急変するまでの時間は?(頭痛と容体急変との間の因果関係はあるのか?)、6.この治療を受けなかった場合、右足の人差し指はどうなっていたと考えられるのか?、7.患者さんには何らかの基礎疾患がなかったのか?などが裁判では争点となると思いますが、記事には、これらの情報は含まれていません。

意図して省いているのでしょうか?この記事だけを読むと、医療側の過失だけが強調されているように感じます...。(被害妄想かもしれません...)

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2006年8月 2日 (水)

脳死判定基準の国際比較

2006年8月2日 晴れ一時雨
熱帯の気候の様です。午後になり、雷を伴う激しい夕立...
今日は、久しぶりに自分のsub-specialityの範囲の検査...腎生検をしていました。いなかの病院ですので、「どうしてもここでしてほしい」という方以外は受け付けておりませんので、約1年ぶりです。特に大きな出血もなく終了。でも、汗はかきました...。

さて、こんな記事を見逃していました...

<脳死>米国・カナダで判定の3人、日本帰国後に意識回復(毎日新聞)

『米国やカナダ滞在中に脳血管の病気で意識不明になった日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いたことが中堅損害保険会社の調査で明らかになった。東京都内で開かれた日本渡航医学会で、損保の担当者が報告した。海外での脳死診断は日本ほど厳格でなく、治療を打ち切る場合があることを浮き彫りにする事例で、報告した担当者は「医療文化が違う国にいることをはっきり認識すべきだ」と警告する。
 報告によると、02〜05年度に、旅行や仕事で米国、カナダに滞在中の旅行保険契約者9人が脳血管障害で入院。主治医は家族や損保の現地スタッフに「脳死」と説明した。うち3人の家族は「治療中止は納得できない」などと訴え、チャーター機で帰国。日本で治療を受け、意識が回復した。搬送費用の約2000万円は保険で支払われた。残り6人は、チャーター機手配に必要な額の保険に加入していなかったことなどから帰国を断念。現地で死亡したという。
 意識が戻った60代男性の場合、カナダで脳梗塞(こうそく)となり、入院した。人工呼吸器をつけなくても呼吸できる自発呼吸はあったが、医師は家族に「脳死」と説明したという。しかし、男性は帰国後1カ月で意識が戻り、記憶も回復した。』

脳死とは人間の生命を支える脳幹部の機能がなくなった状態をいうものと認識しています。脳幹部は呼吸の中枢がありますので、脳死では当然自発呼吸が消失し、人工呼吸を行わなければ「心臓死」に至ります。自発呼吸があるのに「脳死」を診断するとは、恐ろしい医療施設です...。

『日本、米国、カナダとも自発呼吸があれば脳死とは判定されない。回復した3例は病院の診断書に「脳死」との記述はなかった。病院側は損保に「保険会社で死の解釈が違う。治療費を保険で確実に出してもらうため、(病院としては)脳死かどうかは書かない」などと返答したという。
 日本医科大の横田裕行助教授(救命救急医学)は「海外の基準でも脳死なら意識は回復しない。米やカナダなどの一般医療現場では、回復は難しいなどの意味で脳死を使うことがある」と言う。』

回復は難しいなどの意味で「脳死」を安易に使用してはいけないと思うのですが....。

『脳死判定 日本では、臓器移植法に基づき、臓器提供の場合に限って、脳死が法律上の死とみなされる。脳死と判定するためには、(1)深いこん睡(2)瞳孔の散大と固定(3)脳幹反射の消失(4)平たん脳波(5)自発呼吸の消失——のすべてを満たし、6時間たっても状態が変わらないことを確認する必要がある。米国では、州法などで「脳死」を「脳幹を含む全脳の不可逆的停止」などと定義している。どちらの国でも、自発呼吸があれば、脳死とは判定されない。』

自発呼吸がないことを確認するテストがありますが、これは人工呼吸器を外してしばらくの間、自発呼吸が起こらないことを確認する検査です。また、脳波は大脳の活動を主に表し、これが平坦であると大脳の「考える」機能は停止していると考えられます。脳幹反射は呼吸や循環などの調節をしている生命維持装置の脳幹が機能しているかどうか?を確認するものです。実際にはABR: 聴性脳幹反射(耳に音を入れてそれが脳波上に反映されるかどうかを検査する検査法)などが使用されます。これらの検査を少なくとも6時間以上の間隔をあけて2回施行して、同じく「反応がない」と判定する必要があります。

『◇病院間で脳死判定基準に相違…米国
 米国は脳死者からの臓器移植先進国で、年間6000例前後が実施される。脳死は人の死という考え方が広く受け入れられているためだ。松本歯科大の倉持武教授(哲学)は「日本よりも臓器移植を強く推進するというムードが強く、医療現場に影響しているのかもしれない」と指摘する。
 実際、米麻酔学会誌(1999年7月号)によると、頭部外傷で脳死と判定された男性が、臓器摘出直前に自発呼吸をしていることが分かったが、そのまま摘出された例などが紹介されている。
 日本とは医療制度、保険制度が異なり、医療も「営利産業」とされる。患者死亡の場合、保険会社が死亡直前の治療を「無駄」と判断するケースもある。病院側は保険会社からの支払いを受けるため、早めに治療を打ち切る傾向もあるようだ。
 日本では臓器移植法が施行された97年以降、脳死移植は47例。杏林大学病院の島崎修次救命救急センター長は「米国、カナダの脳死判定では脳波は取らず、日本ほど厳格ではない。カナダでは病院ごとに判定基準を定めている」と説明する。』

脳死の判定については、各国でかなりの差があることを知りました。(呆然)
日本はアメリカ型の医療を踏襲していこうと動いているように思えますが、医療にも「営利企業」という考え方が浸透していくと、いままでの日本の医療の良い面は全てかき消されてしまい、とんでもない、そして、日本人には受け入れがたい医療の形が残ると思います。少なくとも、脳死の判定基準はこのまま手を付けずに残していてほしい...と考えます。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年7月30日 (日)

乳児における終末期医療

本日、2つ目の記事です。

先ほど、新聞をみると第一面にこのような記事が...

赤ちゃんの延命治療中止 淀川キリスト教病院(共同通信)

『大阪市の淀川キリスト教病院が2005年までの7年間に、治る見込みがない重い病気で死期が迫った赤ちゃん8人について、「あと1、2時間以内」と判断した時点で両親の希望を受けすべての延命治療を中止していたことが29日、病院のまとめで分かった。
 親が赤ちゃんを抱っこして安らかな最期を迎えられるようにするためで、同病院の船戸正久小児科部長は「治療よりケアを重視し、親と一緒に過ごす時間を最大限、大切にすることを『看取(みと)りの医療』と考えている。赤ちゃんにとって一番よい選択を両親と話し合うことが大切」としている。
 赤ちゃんの終末期医療をめぐっては、本人の意思確認ができず治療中止は難しいとの指摘がある一方で、過剰な延命治療を見直す動きも広がっている。』

生まれたての赤ちゃんには意思を表示することはできません。そして、重篤な先天異常をかかえた児にはさらに、難しいといえます。現在のこれほどまでに進歩した日本の新生児医療をもってしても、救命できない新生児の一群があります。それは、先天異常とされる群で、染色体異常症の一部、無脳症などの脳形成異常、Potter症候群といわれる先天的に(機能する)腎臓が形成されず、羊水が過少となり肺の成熟が得られない群、先天性横隔膜ヘルニアといってお腹と胸を分けている筋肉の膜(横隔膜)が一部破れていてお腹の臓器が胸に入り、そのため肺の低形成を来す群などが含まれます。

そういった新生児はいろいろな手を尽くしても、救命することが難しく...治療の過程で死期がおおよそ予想できることもあります。その場合に、その児の両親は何を望んでいるか?が問題です。恐らく、「死ぬまでに一度でいいから、この胸に抱いてあげたい」と考える方は多いのではないか?(私見です)と考えます。老若男女を問わず、人間にとって辛い人工呼吸のチューブを入れたまま抱かせてあげるのか?状態は厳しいけどチューブを抜いた楽な状態で抱かせてあげるのか?これは、人間としての「優しさ」の問題となると思います。

もちろん、最低レベルの必要条件があります。この児が、手を尽くしても助からない児であること、そして、死期をある程度正確に予測できること、両親がその状態を充分理解でき、肌で感じていること等だと思います。

ここまで書いてきましたが、重大な問題が横たわっています。日本の法制度の中では、尊厳死は法的に擁護されないということです。現状が続くならば、この問題は将来にわたって「家族の気持ちにこたえようと頑張った医師」の逮捕やマスコミによる虐待を生み続けるでしょう。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2006年7月29日 (土)

予防接種のとり違い2

2006年7月29日 晴れ
今日もうだるような暑さでした。海や山などの行楽地で溺水などの事故が多発している様です。少し話は脱線しますが、特に溺水などでは、その転帰に大きく影響するのは「by-stander CPR: そばにいる方の心肺蘇生」と言われています。かなりの一般の方が、気道確保、人工呼吸、心臓マッサージなどのBLS: basic life support, 一次救命処置を学ばれていると思います。溺水などの事故に遭われた方で意識のない方などには、学ばれた知識をいかんなく発揮していただければ、その方を救命できるかもしれません。そして、できるだけ多くの方にBLSを学んでいただければ幸いと感じます。

さて、本題に戻ります。以前、拙ブログでも取り上げましたが、同様の予防接種とり間違いです。
予防接種で児童11人に別ワクチン 石巻市立雄勝病院(河北新報)

『石巻市立雄勝病院(狩野研次郎院長)で小学6年生対象の「ジフテリア・破傷風2種混合(DT)ワクチン」の予防接種をした際、雄勝、船越両小学校の計11人の児童に、誤って「麻疹(ましん)・風疹(ふうしん)混合(MR)ワクチン」を接種したと、市が27日発表した。接種量が少なく、副作用などの健康被害はないという。』

MRワクチンは麻疹と風疹の弱毒化した生のウィルスを混合して注射する予防接種です。また、DTワクチンはジフテリアと破傷風の菌からでる病気のもとの「毒」を取り出して極微量注射する予防接種です。どちらも「2混」と表記されます。そして、通常小学6年生に射つのはDTの方で、0.5ml注射すると激しい局所反応を起こすことが稀にあり、0.1mlを注射しています。ということで、小学6年生に誤って、MRワクチンを0.1mlづつ射っていったとのことと解釈します。麻疹風疹に罹患歴のある場合やワクチン歴があって、体内に有効な麻疹と風疹の抗体を持っている場合はMRワクチンのウィルスは速やかに排除され特に副反応は起こらないと思われます。しかし、そうでない場合は、約1種間から2週間の間程度に発熱したり、発疹が出現したりなどのよくみられる副反応が表れることがあります。また、通常のワクチン接種に伴い発生する、ごく僅かな重篤な副反応(例えば脳炎などのいわゆる100万回接種に1回程度の副反応)はゼロとはいえません。(ただ、他のワクチンでも、これは同じ程度の発生率と考えます。)

しかし、このワクチンとり違いは以前より予想されたもの(同じ「2混」という表記)であり、やはり「確認が足りなかった」と言わざるを得ないのではないか?と考えます。残念な出来事です。
このようなミスを犯さない様、糧とさせていただきます...。

続きを読む "予防接種のとり違い2"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月26日 (水)

知事の言葉

2006年7月26日 晴れのち雷雨
凄まじい雷雨。瞬間的な停電が数回起きて、病院の業務用の端末コンピュータを切って回るような事態でした。

さて、都道府県において、その最高責任者ともいえる「知事」の言葉は非常に重いものです。地方公共団体の首長の中では、最高といってよい権力を保持しているものと考えています。

毎日新聞の記事:県立安芸病院の医療死亡事故:公表問題で知事「公益性実現が必要」 /高知では、同県の橋本知事が非常に重い言葉を発しています。

『県立安芸病院で医療ミスが起き、患者が死亡した問題で、県病院局が遺族の意向を理由に1年以上も公表しなかったことについて、橋本大二郎知事は25日の定例記者会見で、「どこでどういうことが起き、どうすれば防げるかを公開の場で議論できないのは、『個人情報保護』と言ってもおかしいと思う」との考えを述べた。
 同局は先月の県議会文化厚生委で、「県立病院医療事故公表基準」の見直しを検討する考えを表明。現在、全国的な状況を調べながら検討作業を進めている。
 橋本知事はさらに「遺族への配慮は当然必要だが、公益性を実現するためには制度的、仕組みとしてこのままではいけない」と言及した。同局県立病院課は「知事の発言がどういう意味合いのものなのかを確認しながら、現在、取り組んでいる作業を進めていきたい」と話した。』

個人情報保護法の理念は、「個人情報を、公開する、あるいは、公開しないということをその情報を持っている個人あるいはその係累が決めることができる」ということであると思っています。(間違っていたら御指摘ください)
この法を改正しない限り、「遺族が公開を拒否した個人情報を公開した場合」は法律違反となります。橋本知事はこの「重い言葉」で法律を改正せよといっているのでしょうか?

私の勤めている病院でも、個人情報保護法が施行される直前には、相当の勉強をしました。警察から電話で患者の特定を求められても、「令状はあるのですか?」と確認すべきである、とまで徹底されているのです。病院にある個人情報は非常に価値の高いもので、これは漏れた場合大きなリスクとなります。当然、厳しく保護されるべき情報です。そして、我々医療人は、患者さんの権利を最優先に日夜働いているのではないでしょうか?
特に医療過誤の情報は共有されるべきで、今後の進歩の糧とするべきであるということは充分に理解できるのですが...患者さんやその家族が公開を拒否された場合は、「それに従うのがスジである」としか自分には考えられません。それほど、患者さんと家族の意志は医療において重要なのです!

橋本知事が発せられたこの重い言葉は、「医療過誤を少しでも減らすため」に必要なことかもしれませんが、その言葉を実現するためには、「自ら国政に携わり個人情報保護法を改正するよう」、お願いする次第です。

続きを読む "知事の言葉"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年7月23日 (日)

大野事件の続き

2006年7月23日 雨
雨が降り続いています。九州南部で河川の氾濫などがおこり、多数の死傷者が出ている様です。早く、この災害が終息することを祈るのみです...。

さて、福島県立大野病院産婦人科医不当逮捕事件の公判前整理手続きが始まり、検察と弁護側は真っ向からぶつかっている様です。

大野病院医療事故:全面対決の構図に−−公判前整理手続き /福島(毎日新聞)

『 県立大野病院の医療事故で起訴された産婦人科医の加藤克彦被告(38)の公判前整理手続きが21日始まり、弁護側が全面否認の方針を示したことで、法廷では被告弁護側と検察側が真っ向から対立する構図となった。
 午前10時から始まった手続きには裁判官3人、検察官3人、弁護士8人と加藤被告が集まり、1時間50分間行われた。
 手続き後に会見した加藤医師の弁護団は総勢11人。加藤医師が手術用はさみで胎盤をはがしたことについて弁護団は会見で「そうした措置は珍しくない」と述べた。また、大量出血も「胎盤をはがしたあとの出血量は異常に多いわけではなかった」とし、大量出血の原因については「まだ分からない」と述べた。
 弁護側は検察側に起訴状などに関する求釈明に応じるように求めており、この日も再度要請した。福島地検は「釈明の必要があるものは釈明した。まだ手続きの途中で、この時点で弁護側が『検察側が十分に応じていない』と発表することは早計であり、誠に遺憾」との見解を示した。』

以前の記事でも申し上げましたが無罪となり「不当な逮捕拘留をおこなわれた」ケースであると社会一般に広く認識していただきたいと望んでおります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月21日 (金)

はじまりました。

2006年7月21日 雨
福島県立大野病院産婦人科医不当逮捕事件に関連して動きです。

<帝王切開死亡事故>第1回公判前整理手続き行う 福島地裁(毎日新聞)

『福島県立大野病院で帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(38)の第1回公判前整理手続きが21日、福島地裁で行われた。弁護側は、無罪を主張する方針を示した。初公判は10月ごろの見込みという。』

いよいよ始まりました。「無罪となって欲しい」と願います。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2006年7月20日 (木)

恐ろしい手技

2006年7月20日 雨 雷を伴って激しく降る
豪雨の被害は更に拡大しています。現時点で14人の死亡が確認され、いまだ10人の方の行方がわかりません。亡くなられた方の御冥福を祈ります。

さて、残念な記事です。まずは、19歳という若さで、この世を去らなければならなかった、この専門学校生の患者さんに深甚なる哀悼の意を表します。

治療ミスで専門学校生死亡、東海大病院医師を書類送検(読売新聞)

『神奈川県警伊勢原署は19日、治療ミスで入院患者を死亡させたとして、東海大学医学部付属病院(伊勢原市下糟屋)の耳鼻咽喉(いんこう)科男性医師(30)を業務上過失致死の疑いで横浜地検に書類送検した。

 調べによると、医師は2002年5月11日、交通事故で入院していた同県平塚市の男子専門学校生(当時19歳)の気管にできた肉芽を取り除く際、薬品をつけた棒で患部を焼き切ろうとして、棒の先端部(約2センチ)を気管内に落とし、循環不全と心不全で、同月28日に死亡させた疑い。

 病院からの通報で、同署が治療行為と死亡の因果関係を調べていた。病院と遺族は同年8月に和解しているという。』

気道の手術や処置は非常に難度の高いものが多く、危険がつきまといます。小児では異物の誤嚥で気管支に異物がつまった場合に取り除くことが必要ですが、これは非常に難度が高く、ヒヤヒヤしながら行うものです。過去には、取り除く途中で気管に異物が落ちて閉塞し、窒息にて術中に亡くなってしまうような事故も起こっている様です。

記事には詳細が記されていませんので、これだけの情報ですべてを評価することはできませんが...「気管にできた肉芽を取り除く際」という記述から、何らかの原因で呼吸に影響を与えるほどの肉芽が気管にできて、それを取り除いて呼吸を楽にさせることを目的に手術したのではないか?と考えられます。(また、手術を行わない場合はそれにより、呼吸が障害されて死亡した可能性もあると思われます。)よって、手術の適応自体は問題なかったのではないか?と憶測します。

しかし、手術の結果は目標と反したものとなってしまいました。「棒の先端部(約2センチ)を気管内に落とし」というあってはならない出来事が起こり、(全ての情報がないのではっきりとはいえませんが)窒息した可能性があると思います。それが、遠因となって術後17日で残念ながら亡くなられた。ということかもしれないと考えます。

その後は、「病院と遺族は同年8月に和解しているという。」との記述から病院、そして執刀医は家族に対して誠意ある対応をしていたのではないか?と思われます。しかし、ここになり医師の刑事責任を追及する、書類送検になったとのことです。背景に何があるのか?わかりませんが、ここまでする必要があるのでしょうか?

気管に肉芽ができて場合によると肉芽により窒息したかもしれない患者さんに、それを取り除くために必要な手術を行って、残念なことに薬液のついた棒の先端を落としてしまい窒息させてしまった。それが遠因となり、患者さんは不幸にも亡くなってしまった。主治医は「何とかしてあげたい」と思い、この困難で恐ろしい手術にのぞんだのではないでしょうか?民事上の責任は生じると思いますが....業務上過失致死という罪状はふさわしくないような気がします。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年7月13日 (木)

診断は難しい

2006年7月13日 晴れ ときどき 激しい雨
グングン気温はうなぎ上り!すでに夏です。ヘルパンギーナ、溶連菌感染症、ヘルペス性歯肉口内炎、伝染性単核球症、水痘などなど感染症がどんどん増加...外来の人数も増えてきました。外来は17時には終われません...

ココログは、この時間でも結構スイスイ。気持ちよく動いてくれます。

さて、今日はこんな記事が....
誤診で4630万賠償命令(共同通信)

『熊本県山鹿市の消防職員の男性が2カ所の入院先で肺塞栓症を心疾患と誤診され死亡したとして遺族が病院を運営する山鹿市と日本赤十字社に計約9570万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁は13日、訴えを退けた一審熊本地裁判決を変更し、同市と日赤に計約4630万円の支払いを命じた。西理裁判長は「心電図などから肺塞栓症を疑うべきだった」などとして医師の過失を認定。』

肺血栓塞栓症は非常に重症な経過をとることもある厳しい病気です。俗に、「エコノミークラス症候群」といわれるものは、飛行機などの室内で長時間椅子に座った姿勢を続けることにより、下肢の静脈内に生じた血栓(注1)が、心臓に流れ、そして肺動脈を塞栓(注2)したものとされています。同様に、何らかの原因で下肢、あるいは腰の部分に血栓が生じて、それが心臓、肺動脈に流れ塞栓したもの全体を肺血栓塞栓症といいます。(つまり、エコノミークラス症候群は肺血栓塞栓症の一部となります。)

(注1)血栓:血管内に生じた「血の塊」。
(注2)塞栓:血栓等で血管が「つまる」こと。その部位から下流の血流は途絶えてしまう。

症状は、酸素を血液中に送り込む肺の血流が途絶えるような徴候で、呼吸困難や失神、胸痛、ひどい場合はショック(注3)、突然の心肺停止などと「かなり幅が広い」といえます。また、前期の症状は、まず急性心筋梗塞に酷似し、その他うっ血性心不全などにもよく似ています。疑って診断をつけるためにはかなりの臨床経験を要するのでは?と考えます。

(注3)ショック:血液の循環がうまくいかなくなり、末梢の組織が酸素不足になる状態。

胸部レントゲンでは、肺血管陰影の減少などをみることが多いですが、これは余程注意深くみないと見つけられません。また、心電図では右心系の負荷所見をみることが多いのですが、典型的な所見を示すものはなかなかないようです。診断の決め手となるのは、肺血流シンチグラフィー(注4)、肺血管造影などですが、造影剤を用いた肺CTでも「造影欠損」から診断できる場合もあります。

(注4)肺血流シンチグラフィー:放射性同位元素を用いて、肺の血流を確かめる検査。

最近、私が主治医をしたわけではありませんが、高齢者の方で「失神」からこの病気を診断したケースがありました。救急車にて搬入されたのですが、原因がしばらくわからず、2日後にとった造影CTにて診断ができたというものでした...。このように診断が難しい病気についても、民事訴訟で医療側が敗訴することがみられるようになりました。医師に期待される知識のレベルは時代とともに高くなっていくのだと...感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

遺族の感情

2006年6月23日 土砂降り
こんな記事が目に入りました。

県立安芸病院の医療死亡事故:原因は投薬ミス 県議会委で病院局答弁 /高知(毎日新聞)

『県立安芸病院(安芸市、森田英雄院長)で医療ミスが発生し、患者が死亡した問題で、県病院局は22日、県議会文化厚生委(樋口秀洋委員長)の答弁で、死亡事故は昨年初めに起き、原因は投薬ミスだったことを明らかにした。しかし、遺族からの強い要望があるとして、これまで通り事故の詳細は公表しなかった。
 同局によると、担当医師が薬剤投与を指示する際、パソコンに誤った薬剤名を入力。看護師も誤りに気付かず、薬剤をそのまま投与した。その後、患者の容体が急変し、死亡した。この担当医師は処分などは受けておらず、現在、県外の病院で勤務中という。
 この日の委員会では、委員から、「せめて事故の事実だけは公表すべきだった」「個人が特定されない形での公表方法もあったのでは」など一切公開してこなかった県の姿勢に批判が集中。これに対し、田中譲局長は「今後、同じような事故が発生した場合、速やかに委員会に報告する。報告の仕方については相談したい」と応えた。
 また、遺族の同意が得られない場合の対応を踏まえ、昨年4月に制定した「県立病院医療事故公表基準」の見直しを検討する考えを示した。』

遺族が希望しなければ公開する必要はないと思うし、個人情報保護の面でも、むやみに情報の公開を行うと、法的に罰せられる場合もあると思います。マスコミはここぞとばかりの書き方ですが....ホントにそうでしょうか??
この報道においてももマスコミの裏の意図を感じざるを得ません。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年6月21日 (水)

医師の放火未遂

2006年6月21日 曇りのち雨
何故?このようなことが?
知る由もありませんが....このような記事が目にとまりました。

放火未遂で医師逮捕 別の病院にサラダ油まく(共同通信)

『調べでは、青梅市で別の医院を開業している坂井容疑者は今月9日午前1時ごろ、同市内の病院玄関にサラダ油をまき、火を付けようとした疑い。
 110番で駆け付けた青梅署員が現場近くで坂井容疑者を発見、取り押さえた。
 調べに対し、坂井容疑者は「以前、自分の医院に通っていた女性患者がこの病院で治療を受け、容体が悪化しているのに腹が立った」などと供述しているという。』

背景にあることはわかりません。火をつけようとした医院に余程の恨みをもっていたのか?
でも、放火は重罪です。暴力によりものごとのカタを付けようとすると、厳しく罰せられます。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年6月17日 (土)

予防接種による感染

2006年6月17日 雨

今日は地域の輪番でした。午前中は外来です。

B型肝炎、国に責任 集団予防接種で感染 最高裁が賠償命令という記事が朝日新聞に出ていました。

いまでは考えられないことですが、その時代は集団接種の予防接種に注射針の使いまわしをしていました。B型肝炎はある程度年長になってからの感染は一過性のものとなり、新生児期や乳児期の比較的早い時期での感染は永続的な慢性感染となることが知られています。原告の方々は不幸なことに、注射針の使い回しにより、他の感染児より水平感染(注1)したのではないかと考えられます。今でこそ、慢性B型肝炎はインターフェロンや特殊な抗ウィルス剤などが開発され、ずいぶんと治療成績は上がってきましたがそれでも完治する(つまり、体からウィルスがいなくなること)患者さんはほとんどいません。

(注1)水平感染:同胞や他の人から病原体が感染すること。これに対し垂直感染は母児間の感染を指す。

予防接種は感染症の駆逐のため非常に重要な役割を演じてきました。特に、麻疹や百日咳、ジフテリア、ポリオなどについては目覚ましい効果をあげ、先進国ではほとんど患者さんがいなくなるような状態までになってきました。予防接種はこのように感染症に対して「善かれ」と思って行われていることですが....その方法において若干でも瑕疵があれば後になりこのような事象が起こってくる。非常に皮肉なものです...。この被害にあわれた方々には、「本当にお気の毒であった」という気持ちでしかありません。

ただ、時々思うのは...「世の中のものすべては完全であり得ない」ということです。言い換えると、「この世の中に完全なる善(或は悪)というのはない」という感覚でしょうか...。完全なる善は一神教の「神」のような観念的な部分でしか存在し得ないし、その反対の悪もいわゆる「悪魔」のような想像上のものにしか実現できないということです。

この考え方の極地はちょっと危ないものですが、「戦争」に関してもこれを完全な悪とすることができないということになります。戦争は当然、多くの人命を奪い、領土を荒廃させ、場合によってはその土地に長期間人間が住めない状態になったり、今後の世界戦争については「核」が使用された場合は人類のみならず、地球上の生命の滅亡が起こることが危惧されます。これを完全な「悪」とせずに何とするか?ですが....地球上に共存できる生命の数が決まっているとすれば、「効果的に人類の数を調整できる方法」としてみれば「戦争」の悪さは薄れてみえるかもしれません。(ここでは、例えとして戦争を使用していますが、私自身は戦争等にまきこまれたくもないし、起こってほしくないと思っている一小市民です。)

「神」でない「人間」である医師が行う医療も同じです。患者さんに対して「善かれ!」と思って行っている処置は現在ではevidenceに支えられているものがほとんどですが、全ての患者さんに100%を保証することはできません。つまり、処置は「完全なる善」ではあり得ないことになります。当然、医師の技量もありますし、患者さん側の要因、その時点ではまだ理解されていない「処置による副反応」などがあり、処置により起こることを100%予想することは残念ながらできないのです。

悲観的なことを書いてきましたが、医療の技術は日進月歩、数年前までは諦めざるを得なかった患者さんの状態でも改善させたり、完治させることができるような目覚ましい進歩もあります。徐々にではありますが、医療のレベルは向上してきています。これは、医療者の献身的な努力もありますが、貴重な患者さんの犠牲からも大切な情報を得て少しずつ少しずつ進歩させているものなのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月14日 (水)

病院の懐具合(続き)

2006年6月14日 雨
昨日に引き続き脱線します。先の記事で出資法と利息制限法の上限金利の間に差があること(間の金利を俗にグレー金利というそうです。)に若干触れていますが、本日の共同通信の記事では、このグレー金利がなくなるそうです。

グレーゾーン金利を廃止(共同通信)

この中では、どの程度に上限金利が設定されるかは未知のようですが...ヤミ金や消費者金融はやりづらくなるでしょう...

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 6日 (火)

尊厳死の研修会(富山)

2006年6月6日 晴れ
最近は病気ネタを投下していません...そろそろ、病気ネタを...と思っていますがなかなかできません(悲)。

さて、このブログで取り上げているカテゴリーの一つ尊厳死に関して、射水市民病院のある富山で研修会が開かれた様です。→富山新聞:射水の「安楽死」疑惑は「容認しうるケース」 県と医師会の研修会で岡山大教授が見解

その中で『粟屋教授は、東海大医学部附属病院、川崎協同病院事件の判例などを説明。射水市民病 院の犯罪性について、過去の判例を基準にした場合、家族から得た延命治療中止の同意が 単なる希望なら、違法性は退けられないとし、家族の同意の中に患者の真意が推定できる 必要性を指摘した。

 その上で倫理的に見た場合「無駄な延命を避けるのは正当ではない。しかし家族の同意 を得ており、医師の目的や動機は容認しうるものではないか」と述べた。』

少し、誤解を招きそうな表現です。「無駄な延命を避ける」ということは、人工呼吸器を止めると亡くなる可能性のある患者さんに対して人工呼吸を止めるというレベルのことか?ガン末期で、人工呼吸を行ってもある程度の期間延命できるのみと考えられる患者さんに対して気管内挿管し人工呼吸器につなぐのを止め、見守るだけにすることまで入るのか?この文章からは、どちらも当てはまるととられかねません。正確な表現が必要です。

今回の尊厳死事件は、報道の様子からみて恐らく家族との間に意思の疎通が十分とれていたと感じています。本人の意思はどうか?ということになりますが、一部には十分伝わっていたと思われるものもある様です。

自分がガン末期でもう助からない状態のときを考えると、気管内にチューブを入れられるのは、ちょっとゴメンこうむりたいものです。すこし早めに楽にしてくれてもいいのかな?と今はそう感じています。

医療の現場では、現行の法律上はマズいことではあるが、患者さんのためにしてあげたいと思う事が、いくつもあります。

『「医療の倫理」をテーマにした藤野教授は、インフォームド・コンセント(十分な説明 と同意)の考え方などを話し「終末期医療では、治療で健康を目指す視点から、より良く 生きるための医学にシフトすることが求められる」と指摘した。』

こういった、観点でものを見れるようになるとよいのですが.....

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年6月 2日 (金)

医療界と法曹界の間の深い溝2

2006年6月2日 雨のち晴れ
当直明けです。年齢が進んでくると、当直の36時間勤務が少し体にこたえるようになります。

さて、いつもお邪魔させていただいている弁護士さんのブログ弁護士のため息で白熱した意見の交換が行われています。実際にあったと思われる医療訴訟事例をモディファイして呈示し、読者に答えを求めています。この中で、医師の方々からはかなり厳しい意見も書き込まれています。耳が痛くなる事もありますが、一つ一つが臨床医の真意から出てきているものであると感じられます。また、ブログの管理人さんは一つ一つのコメントに対し誠実に返答されており、その人柄がしのばれます。

しかし、この中で「医療界と法曹界との間には決定的な深い溝があり、お互いに理解しえないものである。」と感じました。医療者は法曹界の方々の法律的な考え方をよく理解できません。また、法曹界の方々は、臨床の経験に基づいた医師の意見をどうしても理解できない様です。お互いに、その世界のプロフェッショナルであり、お互いの世界の物事を評価する尺度が違うためであるのではないかと考えます。

「このような医療界と法曹界の間の深い溝を放置していてはいけない。草の根の運動でもいいから、お互いに少しでも理解しあえるように努力していかなくてはならない。」と、強く感じました。弁護士さんのブログには医療者が多く集まっています。これも、一つの草の根の運動です。弁護士のため息の管理人さんは「協力医がいない」と訴えていますが、『どちらかに与するものではなく、あくまで中立で、なおかつ臨床経験から医療の経過を洞察し、参考となる意見を寄せる』(でも、臨床経験豊かであればあるほど、医療側に意見が傾くと思いますが...)ような「参考医」が増える事も大事なのではないか?と考えます。

こういった、サイバースペースだけでなく、面と向かって参考となる意見を言える事も必要なのではないか?とも考えています。

尚、拙ブログ:医療界と法曹界の間の深い溝も時間が余りましたら御参照ください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月18日 (木)

モデル事業の問題点

2006年5月18日 雨
日本産婦人科医会栃木県支部:「医療関連死の調査分析モデル事業の現況と将来」「異状死」届け出制の問題点の中で同モデル事業の問題点が指摘されていました。

このモデル事業とは、医療の経過の中で死に至った患者さんの中で「事件性のあるもの」を除いた方をその死の原因を調べるといったもので...『調査対象は、事故など外傷が寄与した可能性のある事例、安楽死・故意殺、悪質な隠蔽、そして重大な過失などは警察に届け出るべきであるが、それ以外はモデル事業の対象になる。言うまでもなく、遺族の同意が必要である。』
『届け出窓口としては、総合調整医が事情を聴取し受け入れの可能性を検討する。医療承諾解剖は法医・病理・臨床医の3者が協力して行い報告書を作成する。臨床専門医は、解剖に協力するとともに評価結果報告書案を作成し、地域評価委員会が最終結果報告書を作成する。評価委員会は、解剖評価報告書の内容を検討し、承認あるいは提言する。』となっています。

まとめると、「(事件性のない)医療事故の可能性のある死亡例を、患者さんを解剖させていただいて原因を調べる。」といったものですが、いろいろな問題点がある様です。

『本事業の前提としているところは、解剖(司法・病理)によって死因が究明できることを前提としているが、医療事故において、解剖が実際に果たす役割は期待されるほど大きなものではない。本事業の本質的なところがこの解剖にあるとすれば一種の幻想であろう。』
確かに、解剖だけでは不十分で、前後の経過などの総合的な判断が必要だろうと思います。

『その他、本事業では、モデル地区のみを対象としていること、人材育成への配慮が不十分であること、死亡例、解剖については遺族の同意を前提としていること、評価結果報告書の提出のみで完結していること、予算が十分でないこと、医師法や死体解剖保存法との関連、医療への司法介入のあり方など多くの問題点が残されている。』
こういった事業は全国で普遍的に行いデータを集めるべきと考えます。また、文面を読む限りでは、人材にはかなりの技量が要求され、なおかつ医療側、患者さんどちらにも与しない中立性が必要です。このような人材を育成する事ができるのか?危惧されます。

既に、このモデル事業は第1号の答申を出しています。参考のブログ→新小児科医のつぶやき:第3者評価機関モデル事業1号この結果は、医療者側からみると、なかなか受け入れる事が難しそうです。人選の問題、中立性の問題、予算の問題、どれをとっても問題だらけですが...誰もにある程度納得して結果を受け入れていただけるような、そういう真の「第3者機関」ができることを願ってやみません。

追記:周産期医療の崩壊をくい止める会HPに参考になる資料が列記されています。

続きを読む "モデル事業の問題点"

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年5月15日 (月)

アメリカでの医療訴訟

2006年5月15日 曇り時々晴れ

さて、今日はアメリカでの医療過誤訴訟の現状について記述された文献です。また、例によってNew England Journal of Medicineです。(これしか読めていません....)アメリカでは、救急車の後を医事紛争専門の弁護士が追いかけると例えられるように、医療過誤訴訟が多い国です。Harvard School of Public Healthより提出された、このSpecial Articleは医療訴訟の現状をコスト面から論じたものです。

NEJM 354:19 p.2024 May 11, 2006

Claims, Errors, and Compensation Payments in Medical Malpractice Litigation
訳:医療過誤訴訟における請求、過失、補償額

Background
In the current debate over tort reform, critics of the medical malpractice system charge frivolous litigation - claims that lack evidence of injury, substandard care, or both - is common and costly.
訳:(背景)医療訴訟は医療過誤をただして医療事故を減らすために多く行うべきだという論評の中、医療過誤システムに対して批判的な評論家は余り意味のない訴訟(医療による障害や標準レベル以下のケアによるものという証拠のないもの)が多くて、それに対して多くの犠牲を払っているとしている。

Methods
Trained physicians reviewed a random sample of 1452 closed malpractice claimes from five liability insurers to determine whether a medical injury had occured and, if so, whether it was due to medical error. We analyzed the prevalence, characteristics, litigation outcome, and costs of claims that lacked evience of error.
訳:(方法)判決済みの1452例の医療過誤訴訟を5つの信頼できる保険会社からランダムに選び出し、訓練された医師が医療による障害が起きていたか?そして、もし起きていたならば、それは医療過誤によるものか?を判定してもらった。医療過誤の証拠がみられない請求については、その割合、特徴、判決と費用について検討した。

Results
For 3 percent of the claims, there were no verifiable medical injuries, 37 percnet did not involve errors. Most of the claims that were not associated with errors (370 of 515[72 percent]) or injuries (31 of 37 [84 percent]) did not result in compensation; most that involved injuries due to error did (653 of 889 [73 percent]).
訳:(結果)全請求のうち3%は医療による障害を証明できなかった。37%は医療過誤を含んでいなかった。医療過誤と関連のないもの(515例中の370例[72%])と医療による障害と関連のないもの(37例中の31例[84%])では補償金は支払われていなかった。それに対して医療過誤による障害を含んでいるものについてはほとんど(889例中653例[73%])で補償されていた。

Payment of claims not involving errors occurred less fequently than did the converse form of inaccuracy - nonpayment of claims associated with errors. When claims not involving errors were compensated, payments were significantly lower on average than were payments for claims involving errors ($313,205 vs. $521,560, P=0.004).
訳:医療過誤を含んでいない請求に補償金が支払われるのは、その反対つまり医療過誤を含む請求に補償金が支払われないことよりも頻度が少ない。医療過誤を含んでいない請求に補償金が支払われる場合、その補償金は医療過誤を含む請求に支払われる補償金の平均よりも有意に少なかった。($313,205 と $521,560)

Overall, claims not involving errors accounted for 13 to 16 percent of the system's total monetary costs. For every dollars spent on compensation, 54 cents went to administrative expenses (including those involving lawyers, experts, and courts). Claims involving errors accounted for 78 percent of total administrative costs.
訳:全体として、医療過誤を含まない請求が医療過誤システムの費用に占める割合は13から16%にも上る。補償に使われる費用1ドルに対して、実に54セントが法律家や医療専門家、裁判所に支払われる管理費となっている。医療過誤を含む請求が全管理費の78%を占めた。

Conclusions
Claims that lack evidence of error are not uncommon, but most are denied compensation. The vast majority of expenditures go toward litigation over error and payment of them. The overhead costs of malpractice litigation are exorbitant.
訳:(結論)医療過誤を含まない請求は稀ではない、しかし、そのほとんどは補償金の支払いを否定されている。膨大な経費の多くが医療過誤裁判と、その補償金に当てられている。医療過誤裁判の総経費は途方もない額である。

日本とアメリカの間の差を感じる文献です。まだ、日本では訴訟のコストに関した文献は、医学雑誌にみたことがありません...(ただの勉強不足だったりして...)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 2日 (火)

医療と司法という記事

2006年5月2日 晴れのち曇り
日中と夜の間の気温差が激しく、喘息の患者さんには少しきつい気候の様です。

いつも参考にさせていただいている、ある産婦人科医のひとりごとに、こんな記事をみました。

「医療と司法」
外科医で弁護士の古川俊治先生がコメントしておられます。

「手術などの治療には、最善を尽くしても不可避な危険性があります。福島県の産婦人科医の場合も、癒着胎盤など非常に難しい状態で、ほかの医師が担当したとしても、妊婦の死亡は防げなかった可能性が低くはありません。そんな治療で逮捕されるのなら、リスクの高い治療をしなければならない専門の医師は萎縮し、自己防衛として、危ない治療は断るようになるでしょう。」
拙ブログの中でも申し上げていますが、医療には限界があります。医師は所詮、人間であり神ではありません。「人間の生命を自由に操れる」そのような存在ではないのです。ただ、神に近づく様、日夜努力をしています。今回の大野事件では、予見の可能性が著しく低く、そして一旦始まった出血をコントロールすることは不可能に近い、まさに医療の限界の症例であったと思われますが、それを「過失あり」として逮捕、拘留、起訴することは、日本の医療に対して少なからずNegativeな影響を与えるものでしょう。→医療の限界

「また、今回のケースが本当に「異状死」に該当するのかどうかも疑問の余地があります。本来、警察に「異状死」の届け出が必要なのは、人の死亡を伴う重い犯罪の関連が疑われる場合です。医療事故に関しては、一般的には過失を自覚していなければなりません。福島県の産婦人科医の場合も不可避の合併症だという判断で、届け出なかったのだと思います。」
これも、拙ブログの中でとりあげました。異状死については、医師法第21条に届け出義務の規定が記されていますが、この「異状死」についての定義は曖昧で、各学会からガイドラインが出されており、統一された見解がないのが実情です。その、異状死の届け出義務を指摘して逮捕するなどは、まさしく専制的な処罰方法であるといわざるを得ません。→異状死体とは

この記事は、まさに私たちが訴えて来た、最近の法曹界と医療界のあいだの関係を簡潔にわかりやすく示したものといえます。今後、医療事故を専門に検討する第3者機関や無過失補償制度、刑事免責制度等が導入されなければ、日本の医療は「焼け野原」のように無惨な姿をさらすようになるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月30日 (日)

自分らしく生きる条件

2006年4月30日 晴れ 風が強い

京都新聞という地方新聞の社説の中で終末期医療の緊急アンケートの結果について論じたものがありました。

<日本には延命治療をどのように開始し、どのようにやめるのか明確なルールはない。現場の医師は殺人容疑をかけられるリスクに常にさらされているといえる。この基準の分かりにくさとリスクは「安楽死」が密室的な状況で行われる背景となっている。

ここが、問題です。拙ブログでも尊厳死について記事を書いていますが、その中でもこの点を指摘しています。
起訴困難となった条件
尊厳死報道に感じる事

<個人の責任も大きい。かかりつけの医師や家族と万一の時の対応を話し合って自らの意思を示しておくことが最期まで自分らしく生きることにつながる。日ごろから死と向き合う心構えを持ちたい。

自分にとって「生きている」ということはどのような状態か?重症の頭蓋内出血(注1)で人間らしい営みをしていくために必要な大脳(注2)の機能が停止し、戻らない状態は自分にとって「生きている」といえるのか?更に、人工呼吸器がなければ自分で呼吸できない状態は自分にとって「生きている」状態なのか?このようなことに答えを持っていることは良い事です。
現在の日本の法制度からは、「延命治療の導入」の是非を決める事ができても、「延命治療の中止」については決める事ができません。そして、一旦はじめられた人工呼吸は心停止に至るまで止める事はできません。病前に自分の意志を示しておく事が「自分らしく生きる」ことに必要な条件となるでしょう。

注1:脳出血やくも膜下出血のような、頭蓋骨の中で起こる出血
注2:思考、言葉、運動、精神などの座と思われる人間の脳のうち一番大きい部分

続きを読む "自分らしく生きる条件"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月27日 (木)

産科の状況

2006年4月27日 雨のち晴れ
福島県立大野病院事件、無過失補償制度、そして、産科の現状を国会で議論されています。涙が出るようなお話です。


映像1
映像2

本当に、本当に産科医のみなさま、おつかれさまです。ただただ、状況が好転するのを祈るのみです。
この問題は、国家レベルの「喫緊」の問題です。この記事を御覧のみなさま、どうかこの問題に目をお向けください。

続きを読む "産科の状況"

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年4月22日 (土)

意思確認の方法

もう一つの新聞記事が目にとまりました。

延命中止など弁護士に委任(共同通信)で、「80代の女性患者2人が、自分で意思表示できなくなった場合に備え、延命治療中止を含む治療の決定権を弁護士に委任していることが22日、分かった。」との内容です。

これまで、尊厳死に関して「医師が殺人罪で起訴される、あるいは起訴寸前までいく」事件が複数起こってきています。そこで、問題点となっているのは、多くは「本人の意思確認をどうするか?」ということであると思われます。本人の病前の意思確認の方法として、これは有効なのか?今後を見守りたいと思います。

当ブログ内で尊厳死に関して記事にしたのは
起訴困難となった条件
尊厳死報道に感じる事です。

あらたな、カテゴリー[尊厳死]を付けました。

続きを読む "意思確認の方法"

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年4月20日 (木)

異状死体とは

2006年4月20日 晴れ すごい風!

4月19日の日医白クマ通信で、唐沢新会長と木下常任理事の記者会見が掲載されていました。

「唐澤会長は、まず、医師が逮捕・起訴されてしまったことについて、「類似した事例と比較しても、大きな疑問を感じざるを得ない」と捜査当局の対応を疑問視。そのうえで、今回のように医師法第21条が拡大解釈され、捜査機関がいきなり捜査権を行使するような事態が全国各地で起きれば、医療現場に混乱が生じ、国民にも悪影響を及ぼしかねないとその問題点を指摘した。」

「今後の日医の具体的な対応については、木下常任理事が、(1)早いうちに会内に委員会を立ち上げ、医師法第21条の問題についての議論を開始すること、(2)委員会のメンバーには医療関係者だけではなく、司法の関係者にも加わってもらうこと—などを説明した。」

日医の行動が、少し加速されてきた感があります。

さて、医師法第21条は以下の条文となっています。
医師法第21条[異状死体等の届出義務]医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。

この異状死体の定義については、現在、定まっておりませんが、二つの相反するガイドラインが示されている状況です。1.日本法医学会(山口大から)2.日本外科学会声明と十分な説明と同意が得られた上での診療行為により起こった死亡について見解は大きく分かれています。

異状死体の定義は法律上は現時点では決まっておらず、診療行為に基づいて起こった死亡については、これを異状死とするかどうか?議論の途上にあるものと思います。福島県立大野病院の事件で福島県警は、産婦人科医逮捕起訴の理由として「医師法21条違反」をあげています。そもそも、異状死体の定義が定まっていないのに、グレーゾーンの「診療行為により起こった死亡」が異状死であるとして、その届出義務を怠ったということで福島県警は地域で一生懸命頑張った、24時間365日頑張った産婦人科一人医長をマスコミの前で、しかも診療中に逮捕したのです。

ある国会議員の先生はこの事件を、「いずれ、福島県警と検察が起こした事件と見なされるようになる」とまで、いわれています。これからの裁判で、何がこの福島県警の「暴走」を許したのか?明らかになることを願っております。

話は変わりますが、当直中に交通事故でCPA(心肺停止)の患者さんが搬入されて来た事があります。まずは、蘇生処置を行い、1時間は人工呼吸と心臓マッサージを行いましたが、残念ながら亡くなられました。これは、「外因死」にあたり、当院への受診歴もなかった方でしたので、明らかに「異状死」と思われました。警察の方と一緒に検屍を行い、死体検案書を書いたのですが、あとで電話がかかってきて「死体検案書でなく死亡診断書を書いてほしい」との申し出がありました。私が「これは異状死なので死亡診断書を書いたらば、私の腕が後ろに回る事もありますので、できません」と答えると、「そうですか、よく調べてから回答します」との御返事でした。しかし、再び電話がかかってきて「死亡診断書ではないのですか?」とのこと、じっくりと説明して御理解いただきました。警察の方は、私のような医療者より法律にくわしいのでは...と思っていたのですが、中にはこういった方もいらっしゃる様です。

続きを読む "異状死体とは"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月19日 (水)

診療録

2006年4月19日 曇り一時雨 風が強い

私のブログにトラックバックしていただいている弁護士のため息というブログがあります。この弁護士さんは医療過誤裁判を手がけており、『患者側の弁護士』といわれていますが、ブログの内容からは少なくとも公平で中立な方の様で、敵意をもつことはできません。臨床医は一般に法律に疎いものですが、こちらのブログを読ませていただき、少しでも勉強したいと思います。そのブログで、医療過誤裁判の『診療経過一覧表』をチェックするという場面があり、これはカルテ(診療録)から時系列で抜き出した情報をみているということだろうと考えをめぐらせました。私は小児科医をしていますが、ある時期から診療情報管理に自分の興味があることがわかり、診療のかたわらそちらの方面の学問もすこしかじっているといった状況です。いつも書いているカルテ。これについて考えてみました。


医師法第24条[診療録の記載及び保存]医師は、診療をしたときには、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。2.前項の診療録であって、病院又は診療所に勤務する医師のした診療に関するものは、その病院又は診療所の管理者において、その他の診療に関するものは、その医師において、五年間これを保存しなければならない。


医師法での『診療録』の規定はこれだけです。(あとに罰則がありますが...この六法が古いためか?24条違反の罰金が5千円となっています。50万と聞いた気がするのですが....)診療に関した記録すべてが、診療録なのだろうと思います。

『遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない』とありますが、『遅滞なく』とはどのくらいの時間を表すのか?一般的に「24時間」というはなしもありますが、あるところで聞いた話では、「その日の午前中に病棟で回診を行った、その後、重症の患者さんが来てその対応に追われ、カルテを書けなかった。その重症患者さんが、何とか落ち着いたのは翌日の朝3時だった。ヘトヘトに疲れて、つい寝てしまって回診の記録を付けたのが朝8時頃だった。」というのは遅滞なく記載できたこととなり、「その日の午前中に病棟の回診を行った、午後から休みをとってゴルフに行く予定があり、その準備のため少し早めに帰らなければならなかった。そのため、回診の記載をしたのが翌日になった。」というのは遅滞ありという事だそうです。
そして、その回診した患者さんに、もし急変があって亡くなった場合には、その記録を後から書き込む事はできません。そういった意味で、カルテをきちんと書くという事は医師として、半分は「自分を守る」ためになるとも聞きました。(もちろん、基本は患者さんに良い診療を提供するためです。)

カルテの中にはいろいろな情報が詰まっています。医師の経過記録、看護師の経過記録、処置や投薬、注射、食事、安静度、清潔等に関する細かい指示書、検査結果の記録、説明書、同意書などなど。診療の結果、不幸にも医事紛争に発展した場合、まずカルテが差し押さえられます。これから、弁護士さんは医師の記録と看護師の記録などを見比べて、どの時点で、その徴候を覚知したか?情報はうまく伝達されたか?どのような対処をとったか?詳細にみていくのではないかと思います。これが、先に紹介した弁護士さんのブログでも出ていました、『診療経過一覧表』をチェックするということではないか?と考えられます。これは、大変な作業ですね....


話は少し変わりますが、診療録の中の記録について、現在は医師は「医師が書くところ」、看護師は「看護師が書くところ」に別々に記載していますが、情報の伝達の面で問題があることがあるとされています。例えば、看護師さんが気付いた患者さんの変化は看護師さんの記録の所に記載されますが、これは通常、医師の記録のページと離れた場所にあります。医師がそのページを意識して開かなければ、その情報は医師に伝わらないといったことです。そこで、医師も看護師も同じ場所に、書いていったらどうだろうか?ということを実際に取り入れている病院もあります。(少なくともナショナルセンターといわれる旧国立の基幹病院の一つはそうなっています。)もちろん、弊害もありますが、患者さんの利益にはなると思います。また、もし医事紛争となった場合にも、経過がクリアーに見えてくるのではないでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年4月13日 (木)

医事事故を検証するシステム

日付が変わって2006年4月13日 未明です。

いつも参考にさせていただいているblogの「ある産婦人科医のひとりごと」に朝日新聞の記事を参照した文章がでていました。

<それよりも、事故の原因を徹底的に調査して、同じような事故が今後は発生しないような医療システムに変えてゆかなければならない。日本でも、医療事故を公正に調査・検証するシステム(第3者機関)を早急に導入する必要があると思う。

全く同感です。

当ブログでも「尊厳死報道に感じる事」「医療界と法曹界の間の深い溝」などで書きましたが、公平、公正に医療事故を検討する機関の創設が急務です。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年4月 8日 (土)

起訴困難となった条件

2006年4月8日 晴れ

『北海道立羽幌病院で2004年2月、女性医師(34)が男性患者=当時(90)=の人工呼吸器を外し死亡させたとして殺人容疑で書類送検された事件』で検察側は起訴困難との見通しを示した様です。愛媛新聞記事

当時のカルテを複数の医師が鑑定した結果、当時患者さんの血圧は著しく低く、いわゆるショック状態で、人工呼吸器を外しても、外さなくても数十分後には亡くなっていたとの見方を示したためといわれています。

当時の記事を調べると....
『調べでは、病院側は昨年2月14日午後、食事をのどに詰まらせ、心肺停止状態となった男性患者に人工呼吸器を装着した。その後、女性医師は「脳死状態で回復の見込みはない」と家族に人工呼吸器を外すことを提案。翌15日午前、人工呼吸器を外して男性患者を死亡させた疑いが持たれている。
 女性医師は調べに対し、「家族の負担も考えて(呼吸器外しを)相談した。合意は得ていた」と供述したという。
 道警は、神奈川県の東海大医学部付属病院事件の横浜地裁判決(95年)が示した「安楽死」の4要件などを基に、今回のケースが違法性を問われない「安楽死」に当たるかどうか、慎重に検討した。
 この結果、女性医師が他の医師の意見を聞かず、独断で人工呼吸器を外した▽本人の意思を確認せず、家族への病状の説明も不十分だった——などの点を重視し、殺意を立証できると判断した。』

この患者さんの状況を医師側からみると、
1.患者さんは90歳という超高齢の男性で体のすべての予備力が乏しくなっていた。(恐らく嚥下[飲み込む能力]障害もあった。)
2.食事をのどに詰まらせて、心肺停止状態となった。
3.適切な蘇生処置が行われ、蘇生に成功したが、低酸素による脳障害(恐らく脳幹部の障害)が起きて自発呼吸が停止した。
4.そのため、蘇生のために入れた気管チューブを抜かずに人工呼吸器を装着した。
5.脳幹部障害のため、vital sign(血圧、脈拍などの生命徴候)も不安定な『脳死』に近い状態であった。
6.再び病前の日常生活に戻ることはできない、それどころかあと数日あるいは数時間のうちに亡くなるであろうことを、臨床経験の豊富な主治医は読み取り家族へ説明する。
7.家族からの強い希望もあり、人工呼吸器のスイッチを切った。
という状況であったのではないかと思われます。

全ての情報を信用していいのか?は別として、当時の記事から見ても、これだけの事が読み取れます。医師側からすると、『仕方がなかった...』でも、『不用意だった』としかいえません。『横浜地裁判決(95年)が示した「安楽死」の4要件』にしても、『本人の意思を確認する』必要性を指摘しており、このような突発的に起こった事例で『本人の意思』を確認できない場合は、この行為は『法的に擁護されない』という認識がなかったのかもしれません。

『人工呼吸器を止めても、止めなくても、この患者さんは数十分のうちに亡くなっていたであろう』ということが、この事例での起訴困難となった条件ですが...今後は、『どのような状況で、どういう要件をクリアすれば医師が法的に擁護される尊厳死となるのか?』を、もっと明確にすべきだと思います。日本各地でこういう患者さんと対峙している医師はたくさんいて、これからもなくなることはありません。
きちんとした基準を作らない限り、懸命に患者さんと、その家族に尽くした医師が刑事的に起訴されるということが、これからも起き続けるでしょう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年4月 5日 (水)

尊厳死報道に感じる事

2006年4月5日 雨のち晴れ
射水市民病院の続報が流れています。当初より、医療者からみると、『なぜ、こんなことに?』といぶかしんでしまう部分が多かったこの事件ですが…徐々に全容が明らかになってきています。

まず、ガン末期の患者さんに対して、『なぜ、人工呼吸器を装着したのか?』です。ガン末期で、救命できる可能性が限りなく少ない場合は、家族や本人とよくお話をして、『気管にチューブを入れてまで、延命をはかりますか?』ということを一度は検討すると思います。最期の部分でどういった処置を希望するか?というのは各人、各家族でかなり違うとは思いますが、じっくりお話しして考える時間があれば、かなりの患者さんで人工呼吸器の装着を希望しないと思います。マスコミ上で流れている数として7例とのことですが、これは全てのTerminal stage(終末期)の患者の一部で、家族が人工呼吸器の装着を希望した数であると思われます。

また、本日の新聞で流れていた情報をみると、『数年前に胃がんと診断され、昨年春にインフルエンザに罹患してから急速に状態が悪化し自発呼吸がなくなり人工呼吸器を装着された』女性で、『回復の見込みのないことを伝えられ』、『本人がチューブにつながれてまで生きたくない』との意思を示していた事から、家族は主治医である外科部長に呼吸器の取り外しを要請したとされています。この患者さんは通常の終末期の患者さんの経過とは異なり、インフルエンザにより急速に状態が悪化した事が考えられ、延命というよりは救命のために挿管したものと考えられます。

残りの患者さんは、恐らく人工呼吸器を装着する事がどういった事なのか?を説明されて、そして、『やはり、トコトンやってほしい』と希望されたのだと思います。しかし、延命治療の中で顔つきが変化してきたり、回復の見込みのないことを実感されて人工呼吸器の取り外しを要望したり、同意したりしたのではないかと推測(あくまで推測ですが…)されます。

前述のインフルエンザで急速に症状が悪化した患者さんの遺族は『気の毒である』とまで思われており、少なくとも今回の渦中の外科部長さんに対して感謝こそすれ、敵意を表すなどはありません。残念なのは、日本ではこのような場合に医師を守る法律が整備されていない事です。法が整備され、一定の条件での『尊厳死』を認める方向に進まなければ、これからもこういった事例は起き続けるでしょう。

しかし、立法化に向けては国民の中に『容認派』から『絶対に許せない派』までピンからキリまでの意見がみられており、容易にコトが進むものとは考えられません。まだまだ、医師や患者さん、そして家族の苦悩は続く事となります。

また、この事件がマスコミに広く伝えられたのは…(最初から、『こういう構図ではないのか?』と思っていましたが)、病院内部のドロドロとした派閥争い、確執があったのではないか?と指摘するメディアもあります。確かにそうです。病院の内部は確執がないところの方が少ないでしょう。(これは私見です。)そして、自分の病院が傷つくのに、それを敢えて、あれほど大々的に公開した病院長は何らかの企みがあったのかもしれないと感じるのは、『穿った』目で見過ぎているのでしょうか??

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年4月 2日 (日)

医療を裁くことの難しさ

2006年4月2日 雨のち晴れ
インターネットへの接続環境が得られずに、1日書けませんでした。

『医療での事故、過誤を裁く事の難しさ』について、国会での応酬を聞きながら考えてみたいと思います。この応酬は、ブログ内の『医療の限界』でも取り上げました、『福島県立大野病院産婦人科医不当逮捕』事件を取り上げたものです。この中で、杉浦法務大臣は『自分は弁護士出身であるが、医療訴訟についてはかなりの知識を要求され難しい案件については医療訴訟専門の弁護士に相談していた』という要旨の発言をされています。また、枝野議員の『案件を起訴するか?どうかについては、医療に関して余り知識の深くない検察官が決めているが?起訴するか?どうかを決める知識はどうやって入手しているのか?』との質問で、『文献など読んで対応している』との答弁でした。

医療の知識について考えますと、小児科医である自分からみても医療の知識は日進月歩で進んでおり、最先端の知識にずっとついていくのは大変で、100%追いついているとは到底言えない状況です。また、医療の世界はちょっと職人気質のところもあって、『この◯◯徴候という所見は、こんな感じだ!』という、体験しなければ得られない知識(いいかえると、紙の上に表現できない知識)もあります。こういった知識は、文献やその道の成書を読んだとしても得る事はできず、ドップリ臨床に浸かっていないと習得することはできません。

このように、医療の知識というのは非常に専門性が高く、もちろん、文献などで得る事が出来る知識もありますが、少なくとも一部は通常の生活(臨床にドップリ浸かっていない生活)では理解する事が難しいものであると思います。法曹界の方々は、もちろん非常に難度の高い司法試験に通って仕事をされている訳で、当然いろいろな勉強をされ、いろいろな知識を持ち合わせているものと思うのですが、ただ、医療の知識については前述した通りドップリ浸かっていないとわからない部分もありますので臨床医には追いつけないものと考えます。

さて、例えばある医療事故が起こって患者さんが亡くなられたとします。その出来事について、担当した医師に過失がありそうか?どうか?見極めて起訴するのは法曹界の『検察官』です。この検察官の方が、現在の一般的水準の『医療の知識』に照らし合わせて、『これは、どうみても医師に過失があるだろう』というものを、きちんと見極めて『この案件は起訴する』『この案件は起訴しない』としていただければ、医師も、そして患者さん側も納得できるでしょう。しかし、これまでの考察からは検察官の医療の知識については臨床医には追いつけないものと思われます。

ここが、『医療を裁く事の難しさ』であると思います。日本においては、医療過誤も司法が裁いていますが、『他の先進国では通常、「医療過誤を裁くための専門的機関」が設置されており、まずはそちらに案件がまわり、医師側に明らかな過失がある場合、また、その他の明らかな刑法違反がある場合などは司法において適切に処理する』という流れができているようです。

この国会のストリーミングの中で最後の方に、法務副大臣が出て来て私見を述べていました。その中で『日本では、弁護士には自己統率の機構ができているが、医師には自己統率の機構がない。そういった専門機関を作るべきだ』との要旨の意見が出されましたが、これが「医療過誤を裁くための専門的機関」を意味した一言なのか?わかりません。ただ、医師の間からはこういった機関を作る事を切望した声が聞かれます。→(新小児科医のつぶやき) (ザウエリズム)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年3月29日 (水)

医療界と法曹界の間の深い溝

2006年3月29日 薄曇り ちょっと肌寒かった

最近の医師に対する法曹界からの対応について、『なぜ、このようなコトになるのか?』を少しだけ考えてみました。そもそも、お互いの基本的なものごとの考え方に大きな距離があるのではないかと...

医療は人間一人一人に対して、生命の危機から救ったり、苦痛を和らげたり、そういったサービスを提供するもので、現在ではガン末期などの『いずれ亡くなる患者さん』に対して、亡くなる前の良い時間を作ってあげたりする事もあります。(これがホスピスで提供されるサービスです。)もちろん、病気が治る可能性があれば、浸襲を伴う検査や治療を行う事もありますが、全体のバランスとして『その患者さんのためになること』をやっていきます。

これに対して、法曹界の方々は法律によって、社会を混乱させず、スムーズに動かしていくのがお仕事なのではないかと思います。現在の法律はかなり整備されてきていますので(ただ、現状にあわない部分もあります。)、それにのっとって社会が公平で混乱しない方向に進めるように動くというのが基本なのではないかと考えます。ただし、法律の曖昧な部分(例えば、医師法でいう異状死の定義など)は十分に利用して、コトを進める様です。

さて、富山県射水市の射水市民病院で7人の患者が人工呼吸器を外されて死亡した事件(記事)では、尊厳死の基準が問題となります。他国をみると、尊厳死、安楽死(薬物投与などの積極的安楽死も含めて)の基準が法律により制定されているところもありますが、日本ではそれに関連した法律は制定されていません。同様の安楽死事件は複数起こってきており、その中で判例として尊厳死を認める基準を示したものもありましたが、医師側からすると『危なくて使えない』。現実的には、『法的に尊厳死、安楽死は認められない』ということになっています。
私が収集できた情報の中での話ですが、この事件での問題点として
1. 本人の意思を確認できていない。
2. 家族の同意を確認できる同意書が残っていない。
3. 複数の医師により、回復する見込みを否定していない。
などの問題があり、法的にはこの先生の責任はまぬがれえないものと思われます。

しかし、医療の中ではどうでしょうか?医療は『その患者さんのためになること』をやっていくのです。回復の見込みの少ない(というよりガン末期であれば、『まず回復しない』という方が正確と思います。)患者さんが気管内にチューブを入れられ、強制的に呼吸させられる。また、期間が長くなれば、口や鼻からのチューブ挿入では維持できず、気管切開といって喉の気管を前から切開して、そこにチューブを入れなければなりません。このような状態では、徐々に患者さんの顔つきも変わり、眼は濁っていきます。
自分がそういう状況になったときには、こういった延命治療は『ごめんこうむる』と私は思います。

患者さんの家族はそれぞれ考え方があり、『亡くなるまで出来るだけのことをしてほしい』方もいれば、『こんなに変わっていくのはみてられない』という方もおられると思います。もし、家族が後者に属する方達であり、医師に延命治療の中止を懇願した場合はどうなるでしょうか?
その医師は多いに苦しむ事になります。

医療の現場と法曹界の間には大きな溝があります。この溝を埋めるためには、医療の現場で問題となる部分の法整備、医師や医療関係者を裁くための専門的な機関の設置、そして、過失がなくても遺族に補償できる無過失補償精度の確立が必要と考えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月28日 (火)

医療の限界

2006年3月28日 晴れ 風が強い

これから語る内容の前に、一医療者として我が子を育てる事なく亡くなられた女性及び遺族のかたに深甚なる哀悼の意を捧げたいと思います。

医師は人間です。神ではありません。人間が行う事には完全はありません。医療過誤もあれば、ある一定の確率で出てくる『避けられない死亡』があります。神に近づくため、努力をし、多くの犠牲の上にたって今日の進歩した医療があるのです。

最近になり、医療を取り巻く環境が変化したためか?医師が刑事的に起訴されたり、逮捕拘留されたりすることが見られ始めました。医療上のミスを隠蔽したり、功名心にとりつかれた末に起こった事故や現時点での医療のレベルに著しく遅れた処置によって起こったできごとは許すべきではなく、当事者に厳正な処分が必要と感じますが...臨床医が『患者さんのために精一杯がんばったのだけれども、結果として亡くなられてしまった』というような事象に対して、刑事罰をもってのぞむのは余りに慈悲のないことだと思います。

今回、福島県立大野病院で起こった、医師の逮捕劇はまさに、その範疇に入るものと思われます。(記事)逮捕された医師は、産婦人科専門医として9年目、へき地の中核病院で一人産婦人科医長をしていました。年間200から300例の分娩を『一人で』こなし、20から30例の帝王切開を執刀しており、文字通り『24時間365日』という表現が似合う、そんな生活であったのではないかと推測されます。

ここで、分娩は決して安全ではなく、現在の日本の妊産婦死亡率は世界でも最低のレベルですが、それは産婦人科医や助産師のたゆまぬ努力の賜物であると考えられます。しかし、分娩にまつわる死亡はゼロにはできず、医師の教育の中でも、『常位胎盤早期剥離』『子癇発作』など胎児のみならず、母体の死亡に直結するような内容の疾患がでてきます。

亡くなられた産褥婦さんは、『前置胎盤』という新生児が子宮からでてくる子宮口を胎盤が塞いでしまう状態でした。通常の経膣分娩であれば新生児が出れないどころか、大出血して胎児及び母体死亡の可能性があり、帝王切開の適応です。また、大量出血の原因となった『癒着胎盤』は分娩1から2万例に1例ほどの非常に稀な疾患であり、現在の診断技術を持ってしても術前に診断する事は非常に難しいとのことです。

胎児娩出後、胎盤を子宮より剥離できず大量の出血が始まり(『胎盤をクーパー”手術用のはさみ”で剥離した』ことが問題となっていますが、これは『ありうること』との見解が示されています。)、術野は『血の海』となり、臓器のorientation”臓器のある場所”が付かない状態となっていたと思われます。産科医は一人、前立ち(助手のこと)は外科Dr。更に中央部から離れた病院で、輸血の確保が難しい。子宮動脈の遮断や、子宮摘出(患者さんは子宮温存を望んでいたのではないか?と聞いております。よって、子宮摘出には『相当の覚悟をもって』のぞんだものと思われます。)まで行ったが止血が間に合わず、本当に残念なことですが、出血性ショックで貴重な命を失ってしまった。

これが、いままで集めた情報から推定した、術中の経過だと思います。まとめると...
1.前置胎盤に対して帝王切開を行ったことは問題がない。
2.癒着胎盤は術前に診断する事が非常に難しく、よって、それを推定して準備する事は不可能に近い。(輸血の準備が少なかったとの意見があるが、全ての帝王切開症例にMAP(赤血球輸血用血液)10ℓ分準備することは事実上不可能。)
3.術中の操作については、現在の医療技術と照らし合わせても特に過失があると思えない。

この先生は、業務上過失致死及び医師法違反(第21条 異状死体の届け出義務)にて逮捕拘留、起訴されました。また、逮捕が必要であった理由として、証拠隠滅の恐れ、逃亡の恐れがあるとのことでしたが、逮捕当日まで通常の勤務をされており、その恐れはまったくないものと考えます。そして、診療中に『マスコミ』の前で逮捕するなど、事前に検察、警察が情報をリークしていた疑いもあり、もしそれが本当ならば、非難されるべき行為であるといわざるを得ません。

医療には限界があります。その限界は、医師やその他のco-medical staffの努力、研鑽、そして尊い犠牲の上に、一歩一歩着実に引き上げられてきました。このような『過失』があるとは思えない症例では、医師個人の責任を追求するのではなく、患者さんや遺族に対する補償を行う事、そして、今後のためにこういった事例を防止する策を追求すべきです。それが、医療の限界を引き上げていく、大きな原動力となるでしょう。

| | コメント (5) | トラックバック (2)