法律

どうだろう...

2008年5月13日 晴れ
清々しい天候です。どこかにドライブでも行きたいくらいですが....重症を抱えるとそうもいきません。(悲)

さて、悲しいニュース。まずは、55歳でくも膜下出血にて亡くなられた女性、及び、その御遺族の方々に深甚なる弔意を表します。

記事は信濃毎日新聞から。

くも膜下出血見逃し女性死亡 佐久病院医師を書類送検
魚拓

『県厚生連佐久総合病院(佐久市臼田)で2004年10月、頭痛を訴え受診した佐久市岩村田、主婦小林美幸さん=当時(55)=がくも膜下出血で死亡し、夫の哲さん(59)夫が医療ミスがあったとして告訴していた問題で、南佐久署は13日、診察した同病院のF医師(29)=佐久市中込=を業務上過失致死の疑いで地検佐久支部に書類送検した。』

残念なことです。どのようなミスがあったのでしょうか??

『調べによると、深沢医師はくも膜下出血の初期段階を疑い、適切な検査と治療をしなければならなかったのに怠った過失により、05年1月12日、同病院で小林さんを死亡させた疑い。同日、告訴状を受理し、捜査をしていた。深沢医師は過失を認めているという。』

頭痛は普遍的な症状で、その中にはくも膜下出血の初期段階のようにほっておくと死亡に結びつく様な疾患も含まれます。特に、急激に発生した「いままで経験したことのないような」頭痛においては、原因精査のため検査を行うべきだと思われます。

『同署などによると、小林さんは04年10月23日、後頭部に急激な痛みを感じ、同病院の救急外来を受診。「肩凝りによる頭痛」と診断され帰宅したが、数時間後に意識不明になって同病院の集中治療室(ICU)に入院し、意識が戻らないまま死亡した。受診時に小林さんはくも膜下出血の恐れを伝えたが、深沢医師はCT(コンピューター断層撮影)検査などをしなかったという。深沢医師は研修2年目で、当日は土曜日だった。』

頭痛の患者さんに、すべて頭部CTを行う訳ではありません。危険な症状(急激に発症したもの、項部硬直を伴うものなど)を呈するものはするべきであろうと考えています。また、くも膜下出血の初期は、髄腔内に漏れる血液量が少なく、頭部CTでも診断できない症例も多くあります。診断するためには、頭部MRIを併用し、それでも診断できなければ腰椎穿刺して髄液中に血液が漏れていないか?を評価します。しかし、そうこうしているうちに、second attackが起きて助からない....。ということもあるのです。かなり、コワい病気です....くも膜下出血。

最初の時にCT撮ってれば、診断できたでしょうか??ギモンは残りますが、CTを撮っていれば...「診断が難しかったのだ....」と思えるのかもしれません。

『哲さんは「医師はくも膜下出血の症状をよく知らなかったようで憤りを感じる。病院側は示談を申し込んできたが断った。起訴されるか経過を見守りたい」と話した。』

憤りを感じるのは仕方がないでしょうね...ただ、この医師が起訴されて刑事事件となれば、その鬱憤は晴れるのでしょうか?どうでしょうね....。

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医療と刑事責任

本日2稿目となります。

医療と刑事責任については拙ブログでかなりの量、扱ってきました。医療とは本来、不確実なものです。医師は神ではない...。死人を生き返らすこと、死にゆくものを引き止めることも出来ないのかもしれません。しかし、そこに一分の可能性があれば医療行為を行う価値があるはず。そして、それが残念な結果に終わっても....刑事的に訴追されるのだけはそぐわないと感じます。

ある韓国ドラマで、最近、高官に仕える侍医の話がでてきました。その高官の病は、全身に広がり、「骨まで病に侵されている、救うことは不可能である」と、投獄されている侍医はもらします。更に、「その高官が亡くなれば、私の命も尽きることになる」。つまり、死刑となるのです。

正当な医療行為に刑事責任を負わせることは、そのドラマの中の状況と似ています。新羅の時代と現在....何が変わったのでしょうか?ひょっとして、変わってないのかもしれません。

「刑事責任追及に違和感」 5月10日0時24分配信 医療介護情報CBニュース
魚拓

『元日本外科学会会長の門田守人阪大医学部教授は5月9日、「医療現場の危機打開と再建をめざす国会議員連盟」(会長・尾辻秀久元厚生労働相)の会合で、厚生労働省が設置を検討している医療安全調査委員会(医療安全調、仮称)が作成する調査報告書の取り扱いに関連して、「刑事責任の追及には違和感がある」と述べた。』

この部分は私の感覚と一致します。

『門田教授はこれに対し、個人的な考えと前置きした上で、「電車事故などは人間がつくった機会を人間が扱うことで起こる事故。医療事故は神がつくったものを人間が扱うことによって起こるものなので、全く違うものだ」と強調。その上で、「例えば大動脈瘤(りゅう)が切迫破裂したとして、手術しても、しなくても死ぬ。でも1割の確率でも助かるかもしれないからやる。これをどう読むか。やってみないと分からないが、機械的に処理できるものではないため、医療の世界で刑事責任を追及されることについては違和感がある」と主張した。さらに、もし刑事責任が追及されるようなら、「医療はますます崩壊する。万が一、助かるかもしれないとして実施する手術などを誰も手掛けなくなる。国民がそれを認めるかどうか、国民とディスカッションすべき」と述べた。』

まさに、我々がいわんとすることを表していると思います。機械の操作などは、高い確率で結果を予想できます。しかし、人間の場合はなかなか...。そして、手技は生命に直結するのです。神でない限り、100%を期待することはできません。

もちろん、故意の過失や、明らかに「それしちゃダメでしょ...」という事例は、対応を考えなければなりません。その線引きが難しいでしょうね。

これからの、日本の医療が萎縮せず、堂々と「患者さんを救うために努力できる」環境になることを希望します!

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問題の根源

2008年4月9日 雨

花散らしの雨です。しかし、おかげで鼻の調子は良好。

さて、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」は厚生労働省が主催する会議です。しかし、その議論は二転三転...そのproductの名前でさえも...医療事故調査委員会から医療安全調査委員会と変化を遂げています。その座長は刑法学者の前田雅英氏ですが...その議論の進め方などについてギモンを呈する声が大きい!

m3.comに掲載されている「医療維新」というコラム。4月7日分より抜粋します。

『大野病院事件は「重大な過失」「悪質な事例」か -“医療事故調”が警察に通知する事例を考える -』

『検察官の論告は、
 「基本的注意義務に著しく違反した悪質な行為であることは明らかであり、被告人の過失の程度は重大である」
 「産婦人科医としての基本的な注意義務に違反し、医師に対する社会的な信頼を失わせた」
 「被告人は、(中略)信用できない弁解に終始している」
 「こうした責任回避の行為は、(中略)医療の発展を阻害する行為であり、非難に値する」
 「被告人は被害者を自ら検案し、その異状を認識していたが、医師法に基づく届け出も怠った」』

医療の世界にドップリ浸かっていない検察の方々には、臨床の現場を理解しろというのは土台無理な話しでしょう。臨床的な実力があり、酸いも甘いも嗅ぎ分けた人間がこのような論告を行うべきです!とてもとても、こんな論告を飲み込む訳にはいきません!!!!(怒)

『論告の前には既に、被告の加藤克彦医師の産科手術に関する医学的観点からの鑑定意見が複数、公判廷に提出されている。検察は既に十分にこれら鑑定を吟味した。それにもかかわらず、検察は加藤医師の産科手術を「重大な過失」であると断じ、「悪質な事例」と評しているのである。』

もう既に救いがたいというレベルでしょう。善人であろうが、悪人であろうが....こき下ろすのが職務でしょうから....仕方がないでしょうか?

『重過失致死罪の記述に、「重過失とは、注意義務違反の程度が著しい場合を言う」、「わずかの注意を払うことにより結果の発生を容易に回避し得たのに、これを怠って結果を発生させた場合」とある。

 前田氏の記述に従うように、検察は大野病院事件の産科手術事例を「重大な過失」に当たると認定してしまった。公判廷で、無過失を証明する数々の医学者の鑑定が提出されたにもかかわらず。』

この記述が表しているのは、検察には公平な判断を求めることが難しい(特に、非常に専門性の高い医療等の分野では...)ということでしょうね。公平な判断を行うために、新しく「医療安全委員会」を作り、その判断で「刑事事件相当」ということになれば検察に回るという動きが理想的であるはずです。過失の有無に関わらず、残念ながら重大な事故に遭われた患者さん、そして家族の方々が、その処罰心情の大きさによって起訴相当かどうか?決められるようであれば、医療を施そうとする者たちはほとんどいなくなってしまうでしょう。

『厚労省は、医療死亡事故の死因究明などを行う、医療安全調査委員会の創設に向けて、4月3日に第三次試案を公表した。これは前田氏の検討会の議論を受けたものだが、今までの過程では、医療安全調査委員会が警察に通知する「重大な過失」の定義や範囲について、まともな議論がなされなかった。

 現に、その前田氏自身が、3月21日に開催された日本学術会議の公開講演会で、この点につき、「言葉の問題を正面に持っていくと議論が止まってしまう」と述べられたそうである。つまり、「重大な過失」の定義・範囲を議論しなかったのは、意図的なものだったらしい。』

重大な過失の定義がはっきりしないと、なんでもかんでも重過失にされる可能性があります。この、議論を避けるのはこの会議の存在意義を否定することにならないか?と危惧します。

『実体法が改正されず、法解釈にも変更がないとすると、大野病院事件に代表される産科手術事例も、「重大な過失」の典型例とされざるを得ない。最終的に裁判官がどう判断するかは不明だが、少なくても検察は「重大な過失」として扱っているからである。
 
 しかし、それでは巷で思われてきたことと、全く違ってしまう。今まで巷では、少なくても大野病院事件のような手術事例は、「重大な過失」には当たらない、と信じられてきたのである。』

恐ろしいことです。医療の現場では「過失なし」とうけとられる事例でも、裁判の場では「重過失」とされる。コワくて医療なんてやってられないと医師は感じるでしょう。

議論は尽くされていない。座長自らが、問題の根源であるということです。

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錯綜

2008年2月22日 晴れのち雨
雨のためか...暖かい一日でした。

さて、昨日のエントリーに関連した動きです。厚生労働省の「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」(座長=前田雅英・首都大学東京法科大学院教授)はこれまで12回の会合を開いていますが、その議論は「会議は踊る、されど進まず」さながら錯綜を続けている様です。

「再発防止」に方向転換、議論が錯綜 2月22日21時20分配信 医療介護情報CBニュース
魚拓

『「個人の責任追及を目的とした制度」という批判がある医療事故調査委員会について、厚生労働省は「医療安全」や「再発防止」を目的とした制度であることを強調している。厚労省は「死因究明等の在り方に関する検討会」で、再発防止に重点を置いた「業務改善命令」や「再教育」などの行政処分を提案し、大筋で了承されている。しかし、医療界からの反発を受けて方向転換を図ったため、再び議論が錯綜してしまった。』

どうも、流れている情報を見聞きすると『医師を罰するための組織を作る』という感覚でみてしまいます。医療界は「大野事件」「奈良事件」を経験しているだけに、危惧する意識は強いといわざるを得ません。

『これまでの意見を集約すると、制度の目的として(1)真相の究明、(2)患者の納得、(3)再発防止、(4)責任の追及、(5)被害者の救済——などが挙げられている。
 厚労省が昨年8月に公表した中間的な取りまとめでは、「すべてのベースになるものが真相究明」としており、上記(2)〜(5)よりも真相究明を重視している。「真相究明」は「責任追及」につながりやすい。
 しかし、この検討会の第1回目を開催する前の「試案」(07年3月公表)の段階では、▽患者にとって納得のいく安全・安心な医療の確保、▽不幸な事例の発生予防・再発防止等——の2つが挙げられており、上記(1)よりも(2)と(3)に比重があった。』

真相の究明ができなければ医療事故を調査する意味はないでしょう。しかし、真相を確かめるためには自由に意見を言える環境作りが必要です。実際にはインシデントレポートなどで使われている考え方の「免責」ということが必要です。「真相を話したがために、自分に懲罰が下るということ」になると、真実はでてこなくなります。現在の医療水準に比較して著しくかけ離れた過失や故意により生じた医療過誤は処罰する必要があるでしょう。それを適確に判断でき、そして公平性を保った組織にするべきです。(これが難しいでしょうけど...。)

真相が上がってくれば、再発防止の観点で動くことが出来る様になるでしょう...。しかし、これも大きな仕事で、それなりの大きさをもった組織が必要です。

患者の納得については、早期に真相を解明し、必要であれば当事者による謝罪を行うことが必要で、患者さん側への精神的サポートも必要です。また、これが重要ですが「誤った事実に基づいて謝罪が行われるべきではない」ということです。不幸にして事故に見舞われた患者さんを支えること...これが重要なのではないかと感じます。そういった観点で行くと、事故に遭われた患者さんに近いところでの活動が重要で、日本の各ブロックに一つといった組織ではどうにもフットワークに欠ける様な気がします。むしろ、各病院内に専門部署を作り、残念な事故が起こった際に「すぐに患者さんのもとに行き、必要なフォローを行う」とした方がいいのではないかと思います。

『このように、「出口」(ペナルティー)の部分で再発防止に重点を置くならば、「入り口」(届け出の範囲)を広げる必要性が出てくる。事故の予防や医療安全に役立つのであれば、故意・重過失や悪質事例に限定せずに、軽過失の事例や判断が難しい事例を広く届け出る制度にする方が一貫するだろう。』

入り口を広げることには賛成です。多くの事例から、今後の糧とするべきです。しかし、そうすると、どうしても組織は肥大化します。肥大化すれば、当然「お金の問題」が絡んできます。しかし、日本は社会保障費よりも公共事業費が多い国です。再発防止で患者さんのためになるのであれば、そこにお金をつぎ込んでもいいのでは??と感じます。

『この日、東大病院救急部の矢作直樹部長が参考人として出席した。29事例の振り分けが適切かどうかについて意見を求められ、次のように答えた。
 「個々の事例ではなく、制度設計の問題について述べたい。医療安全の向上に資するためという目的であるならば、入り口では届け出を多くして、(届け出なかった場合の)ペナルティーを抑える。そして、出口の行政処分のところは社会常識的で妥当な結論に落ち着くようにすべきだ」
 その上で、矢作参考人は「厚労省のフローチャートと実際の事例にはかい離がある。このフローチャートだと、届け出が不要になる事例が多くなるのではないか」と述べた。』

この考え方には同意します。厚生労働省は、ここで入り口をしぼってはいけません。(その裏には、「お金の問題」があるんでしょうけどネ)

『今回、厚労省は「再発防止」を強調しながら、「届け出の範囲」を限定的にしたため、再び議論が錯綜してしまった。』

この委員会はきちんと作るべきです。それができなければ、日本の医療は衰退するでしょう....。

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割り箸事故の民事訴訟

2008年2月12日 晴れのち雪
粉雪が舞っています。積もる様な雪ではありません。

1999年に割り箸を口にくわえて転倒し、残念なことに亡くなられた幼児の事故の民事訴訟判決です。
診察医師の過失認めず、遺族の請求棄却=男児割りばし死亡事故−東京地裁 2月12日15時31分配信 時事通信

『東京都杉並区で1999年、杉野隼三ちゃん=当時(4つ)=が割りばしをのどに刺し死亡した事故で、医師が適切な治療を怠ったとして、父の正雄さん(56)らが病院を経営する学校法人杏林学園(三鷹市)と医師に総額約8900万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、東京地裁であった。加藤謙一裁判長は「頭蓋(ずがい)内損傷を予見することが可能だったとはいえない」として、遺族の訴えを棄却した。遺族側は控訴する方針。』

咽頭部穿通性外傷は非常に怖い外傷です。咽頭部の裏には脳髄があり、その隔壁は非常に薄いのです。本例は、レトロスペクティブにみて頭蓋内に割り箸が穿通してあったのをCTで確認したとしても、救命できなかった症例であるとされているようです。もちろん、救命できるものであれば予見する必要はあると考えますが...。事故を予防するという観点も必要ではないかと感じます。

『棒や箸などの長いものを口にくわえる習慣を子供に付けさせてはいけません。』

事故予防の教育のときに我々小児科医は口を酸っぱくして言い続けています。

そして、幼児の死亡原因において最多なのは『不慮の事故』です。転倒や転落、窒息などの原因を除去しましょう。

この御両親の辛い気持ちが訴訟という手段以外で癒えますように...。願っています!

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死を選択する権利...

2007年3月20日 晴れ
我が国では、救命のために装着された人工呼吸器を外すことは、それを外したものに殺人罪として立件されるリスクを背負わせることになります。そして、世界をみわたすと、一部の国では「尊厳死」が認められているようです。「尊厳死」については、国内でもこれまでも議論されてはきているようですが、容認するグループと、絶対に容認できないグループがあり、なかなか一定した落としどころがないといった様相です。

さて、ALS: Amyotrophic lateral sclerosis, 筋萎縮性側索硬化症は筋肉を動かす指令を送る運動ニューロンという脊髄に分布する神経細胞が徐々に死滅し、自分の意志で筋肉を動かすことができなくなる病気です。発症や進行の仕方により病型が分かれますが、典型的には下肢より筋力低下が進行し、最終的には呼吸筋がおかされ人工呼吸がないと生命を維持できない状態となります。その一方で、知能や、精神、感覚に関しては、脳自体がおかされるわけではないので、最後まで維持され患者さんに大きな苦痛を与えます。
眼筋を含めた全随意筋が麻痺する状態を全随意筋麻痺(totally locked-in state = TLS)とも呼ばれていますが、まさしく死よりも辛い状態ではないのか?と感じます。

共同通信の記事

『2001年秋、神経内科外来の一室。中村久志(なかむら・ひさし)さん(仮名)は、病気が進行し、ほとんど動かせなくなった大柄な体をベッドに横たえ、思い詰めた顔で荻野医師に切り出した。首にあけた穴から人工呼吸器のチューブが伸びていた。
 「今からでも呼吸器を外したい」
 バス運転手だった久志さんを異変が襲ったのは前年、36歳の時。息苦しさが募り、別の大学病院で01年春に筋委縮性側索硬化症(ALS)と診断され、すぐに呼吸器をつけた。「つければ生きられる」と説明されたからだ。』

ALSは患者さんにも、そして、それを診療する医療者にも残酷な選択を突きつけます。人工呼吸を行うか?それとも死を選択するか?生命をながらえたとしても、徐々に進行する麻痺は、患者さんを脳の中に閉じ込めてしまうこともあります。

『荻野医師は何度も言い聞かせた。不自由な体でも前向きに生きる患者はたくさんいること。呼吸器を外せば外した人が殺人罪に問われかねないこと。「病気を嘆くより、生きることを考えよう」
 自宅で泰子さんの介護を受け、3カ月おきにショートステイ(短期入院)する生活が落ち着くと、久志さんは気力を取り戻した。パソコンを口で操作して友人とメールを交換。泰子さんらと温泉旅行にも行った。
 しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。』

現在では、自宅でもある程度までは管理できるようになってきています。しかし、時間ごとの吸引や、体位変換、その他諸々...介護力は必要です。パソコンはある程度までは使える様です。

『しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。
 泰子さんは診察のたび、荻野医師に手紙を渡した。「『おふくろ、もう限界だよ』と涙をぽろぽろ流します。私が連れていくしかないのでしょうか」。文面は深刻さを増していた。』

徐々に進行する病態。知能や感覚は保たれるだけに、辛いと思います。周りの方々も苦しい。特に介護する方は辛い...と思います。

『8月26日夜。泰子さんは自宅で久志さんの呼吸器を止め、包丁で自分の手首を切った。翌朝、荻野医師の携帯電話が鳴った。当直医からの緊急連絡。「久志さんが亡くなりました」
 「何で!」。全身の力が抜けた。自分にも3人の娘がいる。母が子の命を絶つなんて。「お母さんにやらせてしまった」。一命を取り留めた泰子さんは7日後、殺人容疑で逮捕された。』

日本には「尊厳死」という概念が法律上ありません。このような、治療法もない徐々に進行して閉じ込められてしまう疾患で、本人が「死」を希望しても、それを幇助するのは「殺人罪」としてのリスクを負うことになります。人工呼吸器で生きている患者さんは、まぎれもなく生きています。でも、その生命の質が非常に劣悪で堪え難いものであったならばどうでしょうか?

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民事と刑事のあいだのねじれ

2007年2月28日 晴れ

まずは、この事故で亡くなられた当時31歳の妊婦さんと御遺族の皆様に深甚なる哀悼の意を表します。

民事裁判と刑事裁判との間で、過失の認定に「ねじれ」があると感じることがあります。そして、この裁判でも...

『出産時の処置ミスで名古屋市の主婦=当時(31)=を死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた同市の産婦人科医K被告(48)の判決公判で、名古屋地裁の伊藤新一郎(いとう・しんいちろう)裁判長は27日、「被告に過失があったとは認められない」などとして、無罪(求刑罰金50万円)を言い渡した。』

この事件では、民事裁判では被告に7700万円の支払いを命じる判決でした。

『名古屋市港区の産婦人科で00年8月、同市中川区の主婦(当時31歳)が出産直後に死亡した事故を巡り、主婦の夫と長男が担当医らを相手取り、総額約1億 2700万円の損害賠償を求めた訴訟で、名古屋地裁は14日、担当医に計7700万円の支払いを命じた。加藤幸雄裁判長は「被告の個人診療所は(出産時の)大量出血に対す る必要な体制が整 っておらず、高次医療機関への搬送を決断すべき注意義務に違反した」などと述べた。』

判決の中にはこのような過失の否認が含まれています。

『伊藤裁判長は判決理由で、子宮の裂傷による大量出血が死因とした検察側の主張に対し「医師の証言などから、裂傷の存在には疑問がある」と指摘。設備の整った病院へ搬送しなかったことについても「転院させても確実に救命できたか疑いがある」と退けた。』

同じ事件を扱った民事裁判と刑事裁判。一方は「転院させなかった過失」を認め、一方では「過失があったとは認められない」との判断です。判断の基準が違うのか?法律に素人の私にはわかりません....。

さて、マスコミが報道した旦那さんの言葉...
『閉廷後、夫(33)は「過失がないなら、何で亡くなるのか。妻に報告できない」と話した。』

本当にこのようにお話になったのか?これは不明です。しかし、これだけは言えます。残念ながら、医療の世界では過失がなくとも命が失われることがあります。精一杯努力しても救えないこともあります。それが、医療の限界なのです。我々、医療者はこの限界を引き上げるべく、日々努力しますが...それでも所詮人間のすること、100%の安全を手にすることはできないのです。

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理想と現実のはざま

2007年2月1日 晴れのち曇り時々雪

昼頃より急速に冷えました。曇天となり、ふと窓をみると雪が舞っていました。

さて、神奈川県掘病院で繰り広げられた、「無資格助産事件」。院長はじめ合計11人が書類送検されるという事態に発展しましたが、現在の周産期医療の状況を考慮して、起訴猶予となったようです。突然、降って湧いたような騒ぎが勃発し、日本の周産期医療に与えた影響は計り知れないものがあると感じます。しかし、あっけない幕切れです。

『最高検などと協議し、違法としたが、社会情勢から刑事罰を科すケースに当たらないと判断したとみられる。ほかの医療機関でも同様の行為が相次いで明らかになっており、捜査による医療現場の混乱回避を優先させたといえる。』

なぜ、このような大騒ぎをする必要があったのでしょうか?何か、裏で蠢くチカラを感じます。助産師さんが内診を行なうというのが理想ではあると感じますが、実際に現場では不足しているのであり、そして法に触れることかもしれませんが、実際には看護師さんが内診することで何とか現場は回っているのです。理想を追い求めることは必要でありそのための体制作りをするべきではありますが、すべてを厚生労働省の通達通りに摘発していくと、日本の周産期医療は破綻します。現実を認め、そして将来的にどこに落としどころを持っていくか?という見極めが必要であると考えます。そして、それは検察の方々ができる問題ではなく、国が責任をもって策定していかなければならないものといえます。

『内診について厚生労働省が02年と04年の2度、「看護師では違法」とした通達を出しているのが根拠となった。』

いつもそうなのですが...官僚の皆様方は、「現場を知らなすぎる」のでは?このような強制力のある通達を出せば現場はどうなるのか?出す前に考えてほしいと思います。しかし、これで本当に終わるのだろうか?ちょっと心配です。

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延命治療についての記事

2007年1月6日 曇り
寒風吹きすさぶ状況です。夜半には、九州でも雪になるところがありそうとのこと...。

延命治療とその中止については、これまでも多くの事件で問題となってきました。最近では富山県射水市民病院で終末期の患者さんの人工呼吸器を止めて7人以上の方が亡くなっているとのことが話題となり、殺人罪を含めた刑事訴追を検討されるとの事態が起こりました。一旦はじめた人工呼吸は現在の日本では「止めることが許されない」ものとなっています。

さて、某医療系掲示板からの記事です。ソースは共同通信。

「「誰も幸せにならない...」 延命治療、医師も苦悩 「自然な最期を」と妻子 (3) 」(共同通信 1月5日)

『首都圏の民間病院では約10年前、呼吸器を外した経験がある。重い脳出血で運ばれた60代の男性は、脳の損傷がひどく意識の回復は望めない状態。自発呼吸はわずかに残り、酸素の不足分を呼吸器が補っていた。病状説明を受けた妻は延命中止を望み、成人した子供たちも同じ意見だった。
 「呼吸器を外したら早晩亡くなりますよ」「自然な形でみとりたいんです」。主治医は家族と話し合い、希望を受け入れた。男性は約2週間自発呼吸を続け、死亡した。』

恐らく、脳幹部のみ僅かに生き残った状態で、いわゆる「植物状態」の患者さんであったと思われます。気管チューブを挿入しているか?気管切開を行ないチューブを入れておけば、舌根の沈下による気道閉塞もなく、人工呼吸器を外しても直ぐには死に至らない状況であったのではないかと考えます。
ここでは、患者さん本人の意思は確認できませんが、家族は人工呼吸器を止めることに同意しています。このようなケースで人工呼吸器を止めるのは許されることか?医師に法的な擁護があるのか?現状では「曖昧」です。しかし、実際にはこういった症例は数多くあり、全国の医師たちは「どのように対応すべきであるか?」悩み続けているのではないかと感じます。

『中部地方の公立病院の医師は「以前勤めた病院でも今いる病院でも、呼吸器を何度も外した」と打ち明ける。救急搬送されれば取りあえず呼吸器はつけるが、脳の機能回復が望めない患者や末期がんと判明した場合、家族が望めば外すという。
 「同僚や先輩医師が外すのも見たことがあるし、家族が泣いて頼んでも知らないふりをして延命を続ける医師もいるだろう。どちらもつらいし、ルールがない中でみんな悩んでいる」』

救急の現場では本人や家族の意思を確認することは不可能に近く、状態が悪ければ人工呼吸をはじめるのは仕方がないことです。現状では一旦付けた人工呼吸器を外し、それが原因で死に至った場合、医師は殺人罪を視野にいれて立件される恐れがあります。「家族がのぞめば外すという」ことは非常に危険な行為でないかと考えます。ルールを作ることは非常に難しいと思いますが...逃げてばかりで検討しない訳にはいきません。

『北陸地方の民間病院の医師は「植物状態になった場合に患者を支えなければならない家族の経済的状況も踏まえ、『あうんの呼吸』で家族の気持ちを察するのが医療従事者の大事な役割」と回答用紙につづった。』

『あうんの呼吸』で呼吸器を外した医師が、マスコミから虐待を受けました。気持ちを察して行動してあげたいのですが...自分の身のことを考えると、「できない」というのがホントのところではないでしょうか?

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医療訴訟と鑑定医

2006年9月18日 曇りのち雨
台風は通り過ぎましたが、午後より雨になりました。今日は一日freeです。が、先ほど感染性腸炎と思われる患者さんが入院。診察と指示をしてきました。

さて、拙ブログ:大野事件の続きには多くのコメントを寄せていただき、ありがとうございますした。一部、私の言葉が足りなかった部分がありましたので、ここで補足させていただきます。

福島県立大野病院での産婦人科医逮捕事件は、これまでの報道及び種々の情報収集から考えると、業務上過失致死、及び医師法違反により、逮捕拘留されたことについては不当であったのではないかと考えています。そして、私が、このブログを書き始めようと考えたきっかけは、「この事件が起こったから」にほかなりません。

このブログの冒頭、2つ目の記事に医療の限界という拙文がありますが、この中で
『医療上のミスを隠蔽したり、功名心にとりつかれた末に起こった事故や現時点での医療のレベルに著しく遅れた処置によって起こったできごとは許すべきではなく、当事者に厳正な処分が必要と感じますが...臨床医が『患者さんのために精一杯がんばったのだけれども、結果として亡くなられてしまった』というような事象に対して、刑事罰をもってのぞむのは余りに慈悲のないことだと思います。』と述べました。
一定のレベルをもった医師が、「これはあんまりだ。」「この事故には医療側の過失がある。」と判断するものについては、法的に制裁が待っている。これは当たり前のことですし、そうすべきであると考えています。

鑑定医については、どういう経緯で選ばれるのか?については、余り詳しくはないのですが...鑑定医と協力医について考えたことがあり、拙ブログ:協力医について拙ブログ:医療崩壊に対する対策2にいろいろな議論があります。

その中のコメントの一つモトケンさま(元検事で現在弁護士をされています)のコメントを引用させていただきます....
『法律家というものは、他の専門分野についてはかなり権威に弱いです。
 というか権威を頼る傾向があると言ってもいいと思います。
 つまり、医療過誤問題については権威のある(ありそうな、または、あるように見える)医師の見解を重視することになります。
 医学または医療に無知な検察官としては権威しか判断基準がないとも言えます。
 また、これは本来客観義務を負っている検察官としてはとてもまずいことなのですが、被疑者寄りの意見は信用しない傾向があります。
 私も年を取ったせいか、最近の若い検事には特にその傾向が感じられます。
 臨床の場での過失の有無・程度は臨床の実情・実態を前提にして判断すべきであるのに、ご指摘のように臨床と乖離した「権威のある」判断を示された場合は、検察の判断が単に臨床の感覚とずれるだけでなく、誤った、つまり過失を否定すべきであるのに肯定する判断をしてしまう蓋然性が高くなってしまいます。
 とりあえずこれに対する対処としては、被疑者の立場に立たされた医師を応援するために、極めて多忙とは思いますが、多くの臨床医が意見書を作成して検察に提出することが考えられます。
 しかし多くの意見書が集まったとしても、上述の理由により1通の名誉教授の肩書きのある鑑定書には負けるかもしれません。

 元検の立場としては、現役の検察官が現場の声に耳を傾ける謙虚さと自らの判断の影響力を洞察する視野の広さを持つことを祈っております。』
というコメントから考えて、やはり大学教授等の社会的に権威がある医師に依頼することが多い様です。

また、東海地方の医事紛争を手がけている弁護士さんは、どうも上越地方の大学教授?に鑑定医を依頼することが多いのではとの情報もあります。

ここからは、私見でありますが....我々、一般臨床医が日常行っている診療レベルで「過失あり」「過失なし」の判断を下すべきであると思っています。クーデルムーデルさまの経験された一件は、まさに一般の診療レベルで判断する事例であると思っておりますが....鑑定となると、記名を行い裁判で有効となる文書を書く行為です。いろいろな影響を考えると、難しい決断を要すると考えます。
記名なしで、コメントを寄せる医師は鑑定医に対して協力医と呼ばれることが多い様ですが、これも相当不足している様です。一般臨床をしている医師が多くこれに参加して、一定のレベルの判定を下すことができるようになれば現状を打開できるかもしれません。

すいません、長文となりました。^ ^;

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大野事件の続き...

2006年9月16日 雨
非常に強い台風が近づいてきています。現在のところ中心気圧は925ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は50m/sと勢力は保持したまま、九州に接近中。予想では「直撃」コースです。以前の台風で私の勤めている病院は病室のガラスが割れ、患者さんがケガをされたことがありました。今回はそういったことがなければ良いが...と案じています。

さて、大野事件の続報が...ソースは「毎日新聞」。

大野病院医療事故:裁判所が争点初提示 初公判12月に−−公判前整理手続き /福島(毎日新聞)

『◇第3回公判前整理手続き
 県立大野病院で帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、K被告(39)の第3回公判前整理手続きが15日、福島地裁であった。今回は裁判所から初めて争点についての考えが示された。手続き終了は11月となり、初公判は12月にずれ込む見通しだ。
 手続きでは、裁判所から「胎盤の癒着がわかった段階で、大量出血を予見して剥離(はくり)を中止し、子宮を摘出すべきだったか」が主たる争点との考えが初めて示された。これについて弁護側は手続き後の記者会見で、「止血をするために胎盤をはがすことは臨床では当然のことで、出血を放置して子宮を摘出することは危険だ」と主張した。これに対し検察側は、「大量出血をする前に子宮を摘出すべきだと主張しており、(止血することが重要だとする弁護側の主張は)前提となる事実が異なっているように思われる」と話した。
 次回は10月11日に行われ、弁護側が主張を記載した「予定主張等記載書面」を改めて提出する。11月10日に検察側が意見を述べて手続きを終了する見込みだ。』

記事は一部、加工しております。
「胎盤の癒着がわかった段階で、大量出血を予見して剥離(はくり)を中止し、子宮を摘出すべきだったか」とのことですが、癒着胎盤がはっきりしたのはどの時点であったのか?これは論点にならないのでしょうか?
私は、小児科医で専門外なのですが、子宮から胎盤が「はがれにくい」ことは本当に稀なことで、そのほとんどが癒着胎盤なのでしょうか?

若い、妊娠可能性のある女性の子宮を摘出するということは非常に高度な判断ではないのか?と思ってしまいます。検察側の「大量出血をする前に子宮を摘出すべきだ」という主張は、スジの通ったものですが...実際の臨床の現場ではどうでしょうか?自分であればいわば「身を切られるような」判断となると感じます。

続きを読む "大野事件の続き..."

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脳梗塞という言葉

2006年9月5日 晴れのち雨
なにかジメジメしています。徐々に気管支喘息の児が増えてきています。秋口はシーズンです。

さて、用語の問題?と思われる記事です。医療過誤の報道に長けている毎日新聞から...
医療過誤訴訟:金沢大病院「過失ない」争う姿勢−−地裁で口頭弁論 /石川(毎日新聞)

『金沢大付属病院(金沢市)に入院していた小松市の女性(59)が、脳こうそくを発症して神経に障害が残ったのは病院側の治療後の措置に過失のためとして、同大相手に1億円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が4日、金沢地裁(倉田慎也裁判長)であった。金沢大側は「過失はなかった」として争う姿勢を見せた。
 訴状によると、女性は01年12月10日に心不全で同大に入院。心臓検査のため、頸(けい)静脈にカテーテルを挿入した。同13日にカテーテルを抜いた後、ベッド交換のために移動したところ、挿入口から多量の空気が静脈に入り、脳こうそくを発症。付き添い介護が必要な後遺症が残った。
 病院側はこれに対し、▽発症したのは脳こうそくではなく、脳塞栓(そくせん)▽カテーテルを抜去後の処置は医学水準に合致した手法で、挿入口から空気混入は考えられない▽ベッド交換が直接の原因とは断定できない——などと反論した。』

脳梗塞という言葉を調べてみると...「脳血栓と脳塞栓の総称。脳に酸素と栄養を供給している動脈が細くなったり詰まったりして、その先に血液が流れにくくなる疾患。」とあり、脳梗塞の範疇の中に脳塞栓は入ることとなります。
「▽発症したのは脳こうそくではなく、脳塞栓(そくせん)」と病院側が説明したとありますが、これは「発症したのは脳梗塞の中の脳塞栓」といったのではないかと思います。

また、患者さんには心不全があり、心臓の中での血流が低下している可能性があります。そうすると、心臓の中で血栓が形成され、それがとんで脳の血管の太い部分に詰まり心原性脳塞栓という重症の脳梗塞を起こすことがあります。

そして、なにより頚静脈から空気が入った場合、まずは上大静脈から右心房に入り、右心室を経由して肺動脈から肺に空気塞栓が起こるのが普通のような気がするのですが...これは、専門の循環器の先生に聞かないとはっきりしませんね...

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死は避けられたか?

2006年9月1日 晴れ
今日から新学期。そのためか、外来はスキスキでした。

神戸新聞に以下の記事が載っていました。

県立淡路病院 患者死亡、4100万円賠償(神戸新聞)

『兵庫県立淡路病院(洲本市)で抗生物質の投与を受け、直後に死亡した淡路島内の男性=当時(62)=の遺族らが「病院が適切な措置を怠った」として、県を相手に約六千百万円の損害賠償を求めた訴訟で、神戸地裁の橋詰均裁判長は三十一日までに、県に約四千百万円の支払いを命じる判決を言い渡した。県は控訴せず、判決が確定した。
 判決によると、男性は二〇〇四年三月、前立腺がんの疑いで同病院に入院。患部の組織の一部を採取する検査に備え、抗生物質の点滴を受けたところ、直後にアレルギー反応による「アナフィラキシーショック」に陥り、三日後に死亡した。
 橋詰裁判長は「看護師がすぐに点滴を中止し、医師が処置すれば、患者の死は避けられた。看護師はアナフィラキシーの危険性の認識が十分ではなく、医師も容体の異変を知りながら病室に駆けつけなかった」として、原告側の訴えを認めた。
 中島英三・県病院局長は「裁判において県の主張が認められず、大変残念。判決内容を真(しん)摯(し)に受け止め、今後いっそう医療安全対策の強化に努めたい」とコメントした。
 男性の妻は「同じような不幸が起きないよう、病院職員は緊張感をもって従事してほしい。そうでなければ、本当の勝訴にならない」と話している。判決確定を受け、遺族側は、県に謝罪や再発防止策の徹底を求める申し入れ書を提出した。県は「対応を検討中」としている。』

アナフィラキシーショックは即時型アレルギー反応の最重症型で、全身の血管壁の透過性亢進が起こり、じんましん、喉頭浮腫、循環不全(ショック)などが起こる、臨床的に最も恐ろしい状態の一つとされています。その原因は多岐にわたり、食物や動物、昆虫の毒、薬などあらゆるもので起こる可能性があります。
抗生物質とアナフィラキシーショックとの関連は古くから指摘されており、以前は「皮内反応」という、ごく少量の(これから使用予定の)抗生物質を皮内に注射して、赤く腫れてこないか?をみていました。しかし、この方法では「これからアナフィラキシーショックが起こること」を予測することができないことが多く、また、赤く腫れたとしても本当にアナフィラキシーショックが起こるのは、ごく一部であることもわかってきました。
そして以前のことですが、抗生物質使用前にこの皮内反応をせずに投与したことが、患者さんの死につながったとのことで争われた訴訟もあった様です。(今は、皮内反応をしなかったということで争われることはなくなったと思われます。日本感染症学会が抗生剤使用についてガイドラインを呈示したからです。)

さて、この記事からは充分な情報がありませんので、どういった状況であったか?は、はっきりとはわかりません。ただ、裁判長のことばに「看護師がすぐに点滴を中止し、医師が処置すれば、患者の死は避けられた。看護師はアナフィラキシーの危険性の認識が十分ではなく、医師も容体の異変を知りながら病室に駆けつけなかった」とありますが...医療に100%はありません。「患者さんの死は避けられた。」というのははっきりいって嘘です。医療に絶対はないのですから....「患者さんの死を避けることができた可能性が高い」というのであれば納得できます。

コメントの最初の段に申し上げましたが、アナフィラキシーショックは臨床上、最も恐ろしい状態の一つです。あらゆる手を尽くしても、最終的に死の転帰をとることも充分にありえる状態です。そして、抗生物質を投与した時にアナフィラキシーショックが起こるのを予見する方法は現時点ではありません。(ただ、可能性が高いことを予測する方法はあります。それは充分な病歴聴取です。)そして、一旦起これば、迅速かつ適切な処置で患者さんを救えることもあれば、残念ながら救命不可能な場合もあります。

「医師も容体の異変を知りながら病室に駆けつけなかった」何か別の駆けつけれなかった事情があったのでしょうか?それがなくて、駆けつけなかったのであれば充分に責任はあるものと考えます。

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blog紹介その2

つづいて、トラックバックを受けたブログの御紹介。

東京女子医大病院で心房中核欠損症の手術時にポンプのトラブルにより患者さんが亡くなった事件で、業務上過失致死罪に問われ第1審にて無罪を勝ち取った先生のブログです。

今回の記事は、留置場、拘置所の状況について、当時の状況を細かく紹介されています。非常にバイタリティーにあふれる心臓外科医である彼は、その留置場での生活をも客観的に振り返っています。
「必読」と感じます。

紫色の顔の友達を助けたい:獄中執筆記-傷害防止特殊ボールペンによる医学書院「医学大事典」の執筆-

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協力医について

2006年8月17日 雨
台風が接近しており、ずいぶんと激しい雨になりました。先ほど、病院に呼ばれた時はちょっとスゴい降りでした...
心肺蘇生の話題も記事にしたいのですが、ちょっと時事の話題や、法曹界の方々のブログに触発されて、なかなか進みません...^ ^;

さて、拙ブログ:医療崩壊に対する対策にも記述しましたが、「現在の医療訴訟に大きく影響するのは事故を鑑定する鑑定医や協力医である。」ということがわかってきました。(というより、ずっと前から指摘はされているのでしょうが...)第一線で働く、一般の臨床医が医療の現状と照らし合わせて鑑定を行うべきなのではないか?とも思っています。

コメントをいただいたYosyan先生からは...「一般の臨床医の協力医を増やすべきである。そして、鑑定の透明性を確保すべきである。」との主旨の御意見をいただきました。
また、モトケン先生からは...「(略)とりあえずこれに対する対処としては、被疑者の立場に立たされた医師を応援するために、極めて多忙とは思いますが、多くの臨床医が意見書を作成して検察に提出することが考えられます。(略)」との言葉をいただき、やはり協力医の中に一般臨床に携わっている医師が増えることが必要ではないかと受け取れる御意見です。

さて、一般臨床に携わる臨床医は非常に多忙です。これは、臨床家が協力医になることを妨げている大きな原因と思われますが、これ以外にも何か妨害するような原因はありそうです。また、どうすれば臨床医が参加できやすくなるのか?考えてみたいと思います。この記事を読まれた方で何か御意見を持っている方、どうぞコメントしていってください。私も前向きに考えを進めていきたいと思います。

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医療崩壊に対する対策2

2006年8月15日 晴れ
昨日に引き続き、このタイトルでの記事です。
元検弁護士のつぶやき:医療崩壊に対する制度論的対策についてでは、活発な論議が繰り広げられています。

昨日の記事の中で、検察の方々について少し苦言を呈させていただきました。内容は以下に示しますが....
『医療を勉強したことのない方、そして臨床の経験のない方には、恐らく「医療は100%でない」「医療の不確実性」ということは、頭ではわかっていても、心底理解されるということは難しいと考えます。今回の不当逮捕においても、本当に現場のことを理解して逮捕に踏み切ったのか?理解しがたいところがあります。』

考えてみれば、検察の方々は法律のプロであって、医療には当然、門外漢です。そして、臨床経験が豊富なヒトはほとんど皆無といっていいのではないかと思います。そこで、医療事故がおこったとき「これが果たして医療過誤なのかどうか?」を判断するには、しかるべきところに諮問すると思います。諮問する先は、鑑定医といわれる医師です。この鑑定医先生が「これは過誤であって、起訴すべきである」とすれば、検察の方々は準備を進めるのだと考えます。
そうすると、現在の状況の中で不当な扱いを受けている医師が増えているとすれば、その責任は鑑定医にあるのではないかといえます。恐らく鑑定を依頼される医師は、◯●大学の×◎科学教授や名誉教授などとそうそうたるメンバーであるのではないのか?とも考えていますが、一般の臨床たたき上げの医師とは明らかに意見の相違が生じそうです。大学は本来研究を主にやってきた組織であり、臨床をバリバリやっているというより、一般の臨床医がやらない最先端の医療を施すといったところではないか?と考えます。一般的な病気を数多く診ているのは大学にいる医師ではなく、一般の臨床医です。そして、一般的な臨床の感覚をもっているのは、一般の臨床医です。
鑑定が一般の臨床医でなされたときと、立派な大学教授でなされたときとの間に、自ずと違いが出るのではないか?これは、以上のことからすると容易に推察されることです。現在の日本では風土のせいもあるとは思いますが、鑑定医や匿名での意見を寄せる協力医が不足している様です。臨床をバリバリやっている、第一線の臨床医が多くこれらの鑑定医や協力医に参加することができれば、これらの問題は緩和できるでしょう。(もちろん、一般の臨床医のうち多くは協力医や鑑定医を受けるほどの時間的余裕がないものとは思いますが....)

将来的には現在の鑑定医や協力医を集めて、更に人数を拡大し、一つの科の一つの事件に対してその専門医の10人程度の意見を聞くことができるような組織になり、それを発展させて医療事故を検証する第3者機関となれば良いのではないかとも考えます。それを実現するには医療事故を検証する医師がもっともっと多く必要です。

話はちょっとそれますが、聞いた範囲での話では協力医はいろいろな形での参加ができる様です。法廷で有効となる鑑定には鑑定人の自署が必要ですが、その他の意見書には必要ない様です。そして、これら意見書には法的な拘束力はなく、弁護士などが訴訟を起こすかどうか?を見極めるツールとなるようです。ここで、中立な意見(医療者側にとっても公平なものです)を提出するといった地道な努力を積んでいけば、不当な逮捕や不当と感じられる判決、そして、医療訴訟自体を減らすことができるのではないか?とも考えます。

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医療崩壊に対する対策

2006年8月14日 晴れ
暑いです。

元検弁護士のつぶやき:医療崩壊に対する制度論的対策についてという、元検事で現在は弁護士をされている矢部先生のブログの記事からトラックバックを受けました。

制度論というとちょっと難しいですが、現在までに考えてきたことをまとめてみたいと思います。

まず、日本の医療をとりまく環境です。拙ブログでも、とりあげてきました。まず、医療費は対GNP比で7.6%程度。アメリカは12%以上で日本の約2倍、医療崩壊を来しているとされるイギリスでは6%代でした。また、人口1000人に占める医師の数はWHOが調査しており、OECD加盟国の中で最低のレベル。病院1ベッドあたりの職員数はアメリカの約1/5であるとされています。そして、医療のoutcomeを示す指標の一つ、平均寿命は御存知の通り世界1です。
まとめると、日本の医療は人員が制限され、そして安く仕上がっており、その成績はなかなかのものである。ということでしょうか?ただ、これには患者さんの満足度という指標は入っていません。恐らく、満足度という観点で行くとかなりレベルは低いのではないか?と思います。(私見です。)
でも、それはある程度は仕方のないことかもしれません。ギリギリの人員で病院を運営しているため、職員はテンテコマイです。看護師さんはいつも走っています。医師もベルトコンベアーのように流れてくる仕事をこなさなければなりません。そうまでしないと、食べていけないのです。日本の診療報酬体系では....

ここまで述べてきたように、日本の医療の現場はギリギリの状態です。しかし、厚生労働省は「もっと効率化せよ!」「医療費を減らしなさい」とのかけ声をかけつづけています。そして、先進国のなかでみると最低レベルの(人口あたり)医師数を、「医師は足りている」といってゆずりません。
政策医療を行ってきた公立病院は効率化を求められ「地方公営企業法全部適用」「独立法人化」ととにかく、収益をあげるに血ナマコになっています。
このような状態のなかで、モチベーションを保っている医師はどのくらいいるのでしょうか?

さらに、マスコミが追い打ちをかけます。医療の現場は、非常に高度な判断を求められ続ける場所です。各々の患者さんにおいて、疾患が同じでも100%同じ状態はありません。一つ一つが違うのです。経験の豊富な臨床医でも、その医療事故の現場にいなければどのような状態がおこったのか?なぜ、このような結果になったのか?類推することはできても、決めることはできません。それを、医療について決して詳しいとはいえないマスコミの記者が記事にします。そして、時代は「医師をたたく」流れです、医師に対して温情的な報道は寡聞であるといえますし、「マスコミから虐待をうけた多くの医師」たちがいるといえます。
そして、医師のモチベーションは更に下がります。

最後に、医療過誤の場合の法曹界の対応です。福島県立大野病院産婦人科医不当逮捕事件を例としてあげざるを得ません。この事件は、癒着胎盤という非常に稀なそして救命しがたい、さらに予見しがたい状態において、新生児を救命することはできたが、残念ながらお母様を救うことができなかったという事例において、事件から実に1年以上経過した時期に、業務上過失致死、医師法違反(異状死体届出義務違反)という通常では考えられない、医師であればほぼ全員が不当であると声をあげるような罪状で、しかも通常診療中にマスコミの目の前で手錠をかけて連行するというようなものでありました。そして、逮捕の理由、その罪状についても、医療サイドからすれば到底納得のできるようなものではありませんでした。
検察の方々は、法律については一生懸命勉強され、その道のプロであるといえます。しかし、こと医療に関しては臨床の経験のある方はほとんどいらっしゃらないであろうと考えます。医療を勉強したことのない方、そして臨床の経験のない方には、恐らく「医療は100%でない」「医療の不確実性」ということは、頭ではわかっていても、心底理解されるということは難しいと考えます。今回の不当逮捕においても、本当に現場のことを理解して逮捕に踏み切ったのか?理解しがたいところがあります。

以上、現状での問題点を列挙したつもりですが...その、解決法としては...
1.医療の効率化を進めることも重要かもしれないが、良質な医療にはある程度のお金がかかることを理解し、必要な部分には潤沢な医療費を費やすべきである。
2.医師や病院職員は不足しているとの認識を厚生労働省は持つべきであり、その確保のために医師、看護師養成数を増やすことも考慮に入れて検討すべきである。
3.マスコミには感情的な医師バッシングではなく、冷静に事件とその裏側にある問題を探り出し報道につなげていただきたい。
4.法曹界の方々(特に検察の方々)には、もう少し医療の現場を知っていただきたい。医療には不確実性があり、100%でないことを特に認識していただきたい。その上で、明らかな医療過誤とそうでないものを見極めていただきたい。それができないのであれば、医療事故を専門に検討する部門を作り、そこに臨床経験豊富な医師などを集めて判断させるべきである。
などが挙げられると思います。

更に、最近の話題からですが....
日本の法制度の問題点として、「過失の存在しない医療事故」については補償されないというものがあります。特に、児に高度の障害が残る、「脳性麻痺」については現在までの研究で、出産時におけるトラブルが影響しておこったものは非常に少ないとの結果がでています。そのように、誰の過失も存在しないものについては、公的に補償するという制度→無過失補償制度を早急に導入すべきであると考えます。これに対しては、医師のモラルハザードがおこるという意見などが根強くあり、導入までまだイバラの道とも考えますが、私の考え方からいうと、「まずは後遺症をもった児に対して補償をしてあげることが最優先である」と思っています。この制度の第一義的な意味は患者さんのためであって、医師の云々は二の次であるということです。

以上、なんだかちょっとわかりにくいまとめとなりましたが、『医療崩壊に対する制度論的対策』についての考察です。

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無過失補償制度

2006年8月12日 晴れ一時雷雨
今日も来ました、夕立。雷を伴って、バケツをひっくり返したような雨でした。

「無過失補償制度」は、「医療行為自体に過失がない場合で、医療事故が生じてしまった場合、公的にその患者さんに対して補償する制度」と理解しています。今回紹介する記事は、脳性麻痺に対する補償制度の確立を厚生労働省に提言したというものです。脳性麻痺は出産時の仮死状態などでも生じる可能性はありますが、現在の進歩した産科医療のなかでは、そのうちの多くが「出産時の原因で生じるものではない」ということです。

日本の法制度の中では、医療側に過失がない場合、患者さん側が大きな後遺症を持つことになったとしても、補償されません。特に、脳性麻痺の場合、障害をもって産まれた児を養育するには、多額の費用が必要ですし、両親の大きなエネルギーも必要です。医療側に過失のない場合はこういった患者さんの場合も補償の対象にはならないのです。当然、辛い、苦しい生活が待っています。場合によっては、「この児を産まなければよかった」などと考えてしまうこともあるでしょう...。

脳性麻痺はある一定の確率で生じてくることがわかってきています。その患者さんに対して、「医療側の過失の有無にかかわらず、一定額の補償をしましょう」という制度の提言です。

出産時事故で障害、公的補償制度要望(読売新聞)

「医師会、原案公表
 日本医師会は、出産時の事故で脳性マヒとなった重度の障害者に、医師の過失の有無にかかわらず補償金を支払う公的な「無過失補償制度」の原案をまとめ、8日公表した。
 厚生労働省に同案を提出し、法制化を要望している。
 生後5年までに一時金2000万円を支払い、6年目以降は介護料や逸失利益を年金形式で支払う内容。基金の財源は、国から年間60億円の支出を受けることを想定し、妊産婦からの負担も検討している。しかし産科医の自己負担については「国民の同意が得にくい場合は、1分娩(ぶんべん)1000円を集める」と触れるにとどまり、厚労省は「当事者同士の負担が当然で、国費負担はなじまない」としている。
 この制度は、訴訟による負担を敬遠し、産科医のなり手が減っていることなどから同医師会が導入を検討している。」

個人的に、こういった制度は必要であると考えますし、実現すべきと考えています。しかし、この記事からは読者に少し誤ったイメージを伝える可能性があります。

<出産時の事故で脳性マヒとなった重度の障害者に、>という部分がありますが、脳性麻痺の原因の多くは出産時の事故とは関係ない様です。

<厚労省は「当事者同士の負担が当然で、国費負担はなじまない」としている。>という部分がありますが、この制度自体は「過失の無い事故により生じた脳性麻痺の児を救済するための制度」であるのではないかと考えます。この目的のどこが、国費負担がなじまないのでしょうか?首を傾げたくなります。

<この制度は、訴訟による負担を敬遠し、産科医のなり手が減っていることなどから同医師会が導入を検討している。>という部分も、この制度の目的は「過失の無い事故により生じた脳性麻痺の児を救済するため」ではないかと思います。明らかに産科医の救済とは違う目的であるものなのに、この記事では産科医の救済のためにこの制度を提言したようなイメージを読者に与えます。

マスコミから流れる情報は色が付けられていると感じます。

続きを読む "無過失補償制度"

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情報の不足2

2006年8月8日 晴れ
台風が3つ近づいている様です。そのうち一つが上陸しそうです。
小児の心肺蘇生については第3話まで進んでいますが、最近の報道を読むとどうしてもそちらについて意見を書かざるを得ません。

今回も情報の不足、そしてマスコミの論理誘導の感を否めません。
まずは、今回の報道に出てくる、亡くなられた新生児の患者さん、及び、その御遺族の方々に深い哀悼の意を表しますとともに、医療がこの限界を超え進歩し続けることを望みます。
分娩で頭蓋骨骨折、新生児死亡=愛育病院、医療ミスか−警視庁(時事通信)

『東京都港区の愛育病院(中林正雄院長)で、器具を使って分娩(ぶんべん)したところ、新生児が頭蓋(ずがい)骨骨折の仮死状態で生まれ、翌日に死亡していたことが8日、分かった。同病院が警察に適切な届け出をしていなかった可能性もあり、警視庁麻布署は医療ミスの疑いもあるとみて、業務上過失致死容疑で病院側から事情を聴いている。
 調べでは、6日午後5時すぎ、病院内で港区の女性(38)が女児の出産を開始。同9時ごろ、出産が長時間になり、母子に負担が掛かると判断した男性医師(31)が、鉗子(かんし)を使い新生児を挟んで取り出す方法を選択したが、約30分後に頭蓋骨が骨折した状態で生まれ、7日午前9時20分に死亡が確認された。』

鉗子分娩は文字通り、赤ちゃんの頭を鉗子でつかんで外に引っ張り出す手技です。吸引分娩という方法は陰圧をかけたカップで頭を引っ張って分娩する方法です。(因に私自身も吸引分娩で産まれたとのことです。)この記事からは情報不足のため伺えませんが、鉗子分娩で分娩させなかった時にはこの新生児はどうなっていたのか?これが問題です。明らかな胎児仮死徴候があって、児頭がかなり下りてきている場合は、鉗子分娩で引っ張り出すこともあるのでは?と考えます。そして、分娩が成功しない場合はどうなるのか?この場合も「死」が待っているのではないかと思います。

また、もう一つ決定的な情報不足は頭蓋骨の骨折と新生児の死亡との間に因果関係があるのかということです。周産期仮死が原因で亡くなったのであれば、この記事は誤ったイメージを読者に与えることになると思います。

続きを読む "情報の不足2"

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