尊厳死

2007年3月20日 (火)

死を選択する権利...

2007年3月20日 晴れ
我が国では、救命のために装着された人工呼吸器を外すことは、それを外したものに殺人罪として立件されるリスクを背負わせることになります。そして、世界をみわたすと、一部の国では「尊厳死」が認められているようです。「尊厳死」については、国内でもこれまでも議論されてはきているようですが、容認するグループと、絶対に容認できないグループがあり、なかなか一定した落としどころがないといった様相です。

さて、ALS: Amyotrophic lateral sclerosis, 筋萎縮性側索硬化症は筋肉を動かす指令を送る運動ニューロンという脊髄に分布する神経細胞が徐々に死滅し、自分の意志で筋肉を動かすことができなくなる病気です。発症や進行の仕方により病型が分かれますが、典型的には下肢より筋力低下が進行し、最終的には呼吸筋がおかされ人工呼吸がないと生命を維持できない状態となります。その一方で、知能や、精神、感覚に関しては、脳自体がおかされるわけではないので、最後まで維持され患者さんに大きな苦痛を与えます。
眼筋を含めた全随意筋が麻痺する状態を全随意筋麻痺(totally locked-in state = TLS)とも呼ばれていますが、まさしく死よりも辛い状態ではないのか?と感じます。

共同通信の記事

『2001年秋、神経内科外来の一室。中村久志(なかむら・ひさし)さん(仮名)は、病気が進行し、ほとんど動かせなくなった大柄な体をベッドに横たえ、思い詰めた顔で荻野医師に切り出した。首にあけた穴から人工呼吸器のチューブが伸びていた。
 「今からでも呼吸器を外したい」
 バス運転手だった久志さんを異変が襲ったのは前年、36歳の時。息苦しさが募り、別の大学病院で01年春に筋委縮性側索硬化症(ALS)と診断され、すぐに呼吸器をつけた。「つければ生きられる」と説明されたからだ。』

ALSは患者さんにも、そして、それを診療する医療者にも残酷な選択を突きつけます。人工呼吸を行うか?それとも死を選択するか?生命をながらえたとしても、徐々に進行する麻痺は、患者さんを脳の中に閉じ込めてしまうこともあります。

『荻野医師は何度も言い聞かせた。不自由な体でも前向きに生きる患者はたくさんいること。呼吸器を外せば外した人が殺人罪に問われかねないこと。「病気を嘆くより、生きることを考えよう」
 自宅で泰子さんの介護を受け、3カ月おきにショートステイ(短期入院)する生活が落ち着くと、久志さんは気力を取り戻した。パソコンを口で操作して友人とメールを交換。泰子さんらと温泉旅行にも行った。
 しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。』

現在では、自宅でもある程度までは管理できるようになってきています。しかし、時間ごとの吸引や、体位変換、その他諸々...介護力は必要です。パソコンはある程度までは使える様です。

『しかし、04年春には指も口もまったく動かなくなり、パソコンの楽しみも奪われた。「死にたい。呼吸器を外して」。残された目の動きで文字盤の文字を示し、再び訴えるようになった。
 泰子さんは診察のたび、荻野医師に手紙を渡した。「『おふくろ、もう限界だよ』と涙をぽろぽろ流します。私が連れていくしかないのでしょうか」。文面は深刻さを増していた。』

徐々に進行する病態。知能や感覚は保たれるだけに、辛いと思います。周りの方々も苦しい。特に介護する方は辛い...と思います。

『8月26日夜。泰子さんは自宅で久志さんの呼吸器を止め、包丁で自分の手首を切った。翌朝、荻野医師の携帯電話が鳴った。当直医からの緊急連絡。「久志さんが亡くなりました」
 「何で!」。全身の力が抜けた。自分にも3人の娘がいる。母が子の命を絶つなんて。「お母さんにやらせてしまった」。一命を取り留めた泰子さんは7日後、殺人容疑で逮捕された。』

日本には「尊厳死」という概念が法律上ありません。このような、治療法もない徐々に進行して閉じ込められてしまう疾患で、本人が「死」を希望しても、それを幇助するのは「殺人罪」としてのリスクを負うことになります。人工呼吸器で生きている患者さんは、まぎれもなく生きています。でも、その生命の質が非常に劣悪で堪え難いものであったならばどうでしょうか?

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2006年9月15日 (金)

厚労省案

2006年9月15日 雨

アデノウィルス感染症とマイコプラズマ肺炎が流行中です。

拙ブログ:残念な処遇でも紹介した射水の尊厳死事件にも関連する報道です。

終末医療で初の指針案=延命治療、チームが決定−患者の意思尊重し文書化・厚労省(時事通信)

『厚生労働省は15日、終末期医療の指針原案をまとめた。延命治療の中止などは、患者の意思を踏まえ、医師の独断ではなく医療チームが決定し、患者と合意した内容を文書化。患者の意思が不明の場合、家族の話から本人の意思を推定するが、推定できない場合、家族の意思は参考にとどめ、医療チームが治療方針を決定するとしている。
 終末期医療をめぐっては、今年3月に富山県の射水市民病院で末期がん患者の人工呼吸器取り外し問題が発覚したのを受け、川崎二郎厚労相が指針を作成する方針を示していた。同省は近く、法曹関係者も交えた有識者で構成する検討会を設置し、年度内に正式な案をまとめる方針だ。』

さすがに動きが出てきた様です。ただ、「推定できない場合、家族の意思は参考にとどめ、医療チームが治療方針を決定するとしている。」という下りは、今後大きな議論を巻き起こしそうです...。

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2006年9月13日 (水)

残念な処遇

2006年9月13日 雨
涼しいです。今日は終業時間間近に受診した腹痛の児。右下腹部に圧痛があり、反跳痛あり。筋性防御はみられず。嘔吐数回。虫垂炎を疑い、精査を進めたところ、WBC 11,400 , CRP 0.02。ちょいとアヤシいと思い、腹部CTしたところ、直腸を圧排するような形の腫瘤が...??場所からすると卵巣??
卵巣腫瘍の茎捻転の疑いで、婦人科と小児科のそろった病院に搬送でした。

さて、射水の外科部長先生。事務方に異動させられていたのですね...恐らく、臨床が非常にできる方であったのでは?と考えますが...そのような「閑職に」とは、ほとんど「拷問」です。

“安楽死”射水病院元部長、復帰求め市に不服申立書(読売新聞)

『富山県射水(いみず)市の射水市民病院で入院患者7人が延命措置の中止により死亡した問題で、関与したとされる伊藤雅之・元外科部長(51)が、同病院と市から受けた自宅待機命令や人事異動は問題だとして、同病院への復帰を求める不服申立書を市公平委員会に提出したことが9日、わかった。
 伊藤元外科部長は、院内で問題が発覚した昨年10月以降、病院長から自宅待機を命じられ、今年5月には市福祉保健部参事に異動した。
 伊藤元外科部長は「現場復帰を願ってくれている市民に応えたい」としている。』

この事件では、病院内部の不協和音の指摘や、この外科部長さんに対して家族は感謝こそすれ憎悪の念は持っていないというような報道もあり、外科部長さんの責任を追及しすぎるのはひょっとすると「筋違い」かも知れないと感じています。もちろん、尊厳死という概念が法的に擁護されるものではありませんし、いろいろな意見が存在するのもわかります。
しかし、将来的には「自分の最後の瞬間は自分で決めることができる」というような法整備も必要になってくるのではないか?とも感じます。

患者さんたちが待っているのであれば、この外科部長さんが復帰して患者さんのために働かれるのを望みます。

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2006年7月30日 (日)

乳児における終末期医療

本日、2つ目の記事です。

先ほど、新聞をみると第一面にこのような記事が...

赤ちゃんの延命治療中止 淀川キリスト教病院(共同通信)

『大阪市の淀川キリスト教病院が2005年までの7年間に、治る見込みがない重い病気で死期が迫った赤ちゃん8人について、「あと1、2時間以内」と判断した時点で両親の希望を受けすべての延命治療を中止していたことが29日、病院のまとめで分かった。
 親が赤ちゃんを抱っこして安らかな最期を迎えられるようにするためで、同病院の船戸正久小児科部長は「治療よりケアを重視し、親と一緒に過ごす時間を最大限、大切にすることを『看取(みと)りの医療』と考えている。赤ちゃんにとって一番よい選択を両親と話し合うことが大切」としている。
 赤ちゃんの終末期医療をめぐっては、本人の意思確認ができず治療中止は難しいとの指摘がある一方で、過剰な延命治療を見直す動きも広がっている。』

生まれたての赤ちゃんには意思を表示することはできません。そして、重篤な先天異常をかかえた児にはさらに、難しいといえます。現在のこれほどまでに進歩した日本の新生児医療をもってしても、救命できない新生児の一群があります。それは、先天異常とされる群で、染色体異常症の一部、無脳症などの脳形成異常、Potter症候群といわれる先天的に(機能する)腎臓が形成されず、羊水が過少となり肺の成熟が得られない群、先天性横隔膜ヘルニアといってお腹と胸を分けている筋肉の膜(横隔膜)が一部破れていてお腹の臓器が胸に入り、そのため肺の低形成を来す群などが含まれます。

そういった新生児はいろいろな手を尽くしても、救命することが難しく...治療の過程で死期がおおよそ予想できることもあります。その場合に、その児の両親は何を望んでいるか?が問題です。恐らく、「死ぬまでに一度でいいから、この胸に抱いてあげたい」と考える方は多いのではないか?(私見です)と考えます。老若男女を問わず、人間にとって辛い人工呼吸のチューブを入れたまま抱かせてあげるのか?状態は厳しいけどチューブを抜いた楽な状態で抱かせてあげるのか?これは、人間としての「優しさ」の問題となると思います。

もちろん、最低レベルの必要条件があります。この児が、手を尽くしても助からない児であること、そして、死期をある程度正確に予測できること、両親がその状態を充分理解でき、肌で感じていること等だと思います。

ここまで書いてきましたが、重大な問題が横たわっています。日本の法制度の中では、尊厳死は法的に擁護されないということです。現状が続くならば、この問題は将来にわたって「家族の気持ちにこたえようと頑張った医師」の逮捕やマスコミによる虐待を生み続けるでしょう。

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2006年6月 6日 (火)

尊厳死の研修会(富山)

2006年6月6日 晴れ
最近は病気ネタを投下していません...そろそろ、病気ネタを...と思っていますがなかなかできません(悲)。

さて、このブログで取り上げているカテゴリーの一つ尊厳死に関して、射水市民病院のある富山で研修会が開かれた様です。→富山新聞:射水の「安楽死」疑惑は「容認しうるケース」 県と医師会の研修会で岡山大教授が見解

その中で『粟屋教授は、東海大医学部附属病院、川崎協同病院事件の判例などを説明。射水市民病 院の犯罪性について、過去の判例を基準にした場合、家族から得た延命治療中止の同意が 単なる希望なら、違法性は退けられないとし、家族の同意の中に患者の真意が推定できる 必要性を指摘した。

 その上で倫理的に見た場合「無駄な延命を避けるのは正当ではない。しかし家族の同意 を得ており、医師の目的や動機は容認しうるものではないか」と述べた。』

少し、誤解を招きそうな表現です。「無駄な延命を避ける」ということは、人工呼吸器を止めると亡くなる可能性のある患者さんに対して人工呼吸を止めるというレベルのことか?ガン末期で、人工呼吸を行ってもある程度の期間延命できるのみと考えられる患者さんに対して気管内挿管し人工呼吸器につなぐのを止め、見守るだけにすることまで入るのか?この文章からは、どちらも当てはまるととられかねません。正確な表現が必要です。

今回の尊厳死事件は、報道の様子からみて恐らく家族との間に意思の疎通が十分とれていたと感じています。本人の意思はどうか?ということになりますが、一部には十分伝わっていたと思われるものもある様です。

自分がガン末期でもう助からない状態のときを考えると、気管内にチューブを入れられるのは、ちょっとゴメンこうむりたいものです。すこし早めに楽にしてくれてもいいのかな?と今はそう感じています。

医療の現場では、現行の法律上はマズいことではあるが、患者さんのためにしてあげたいと思う事が、いくつもあります。

『「医療の倫理」をテーマにした藤野教授は、インフォームド・コンセント(十分な説明 と同意)の考え方などを話し「終末期医療では、治療で健康を目指す視点から、より良く 生きるための医学にシフトすることが求められる」と指摘した。』

こういった、観点でものを見れるようになるとよいのですが.....

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2006年4月30日 (日)

自分らしく生きる条件

2006年4月30日 晴れ 風が強い

京都新聞という地方新聞の社説の中で終末期医療の緊急アンケートの結果について論じたものがありました。

<日本には延命治療をどのように開始し、どのようにやめるのか明確なルールはない。現場の医師は殺人容疑をかけられるリスクに常にさらされているといえる。この基準の分かりにくさとリスクは「安楽死」が密室的な状況で行われる背景となっている。

ここが、問題です。拙ブログでも尊厳死について記事を書いていますが、その中でもこの点を指摘しています。
起訴困難となった条件
尊厳死報道に感じる事

<個人の責任も大きい。かかりつけの医師や家族と万一の時の対応を話し合って自らの意思を示しておくことが最期まで自分らしく生きることにつながる。日ごろから死と向き合う心構えを持ちたい。

自分にとって「生きている」ということはどのような状態か?重症の頭蓋内出血(注1)で人間らしい営みをしていくために必要な大脳(注2)の機能が停止し、戻らない状態は自分にとって「生きている」といえるのか?更に、人工呼吸器がなければ自分で呼吸できない状態は自分にとって「生きている」状態なのか?このようなことに答えを持っていることは良い事です。
現在の日本の法制度からは、「延命治療の導入」の是非を決める事ができても、「延命治療の中止」については決める事ができません。そして、一旦はじめられた人工呼吸は心停止に至るまで止める事はできません。病前に自分の意志を示しておく事が「自分らしく生きる」ことに必要な条件となるでしょう。

注1:脳出血やくも膜下出血のような、頭蓋骨の中で起こる出血
注2:思考、言葉、運動、精神などの座と思われる人間の脳のうち一番大きい部分

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2006年4月22日 (土)

意思確認の方法

もう一つの新聞記事が目にとまりました。

延命中止など弁護士に委任(共同通信)で、「80代の女性患者2人が、自分で意思表示できなくなった場合に備え、延命治療中止を含む治療の決定権を弁護士に委任していることが22日、分かった。」との内容です。

これまで、尊厳死に関して「医師が殺人罪で起訴される、あるいは起訴寸前までいく」事件が複数起こってきています。そこで、問題点となっているのは、多くは「本人の意思確認をどうするか?」ということであると思われます。本人の病前の意思確認の方法として、これは有効なのか?今後を見守りたいと思います。

当ブログ内で尊厳死に関して記事にしたのは
起訴困難となった条件
尊厳死報道に感じる事です。

あらたな、カテゴリー[尊厳死]を付けました。

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2006年4月 8日 (土)

起訴困難となった条件

2006年4月8日 晴れ

『北海道立羽幌病院で2004年2月、女性医師(34)が男性患者=当時(90)=の人工呼吸器を外し死亡させたとして殺人容疑で書類送検された事件』で検察側は起訴困難との見通しを示した様です。愛媛新聞記事

当時のカルテを複数の医師が鑑定した結果、当時患者さんの血圧は著しく低く、いわゆるショック状態で、人工呼吸器を外しても、外さなくても数十分後には亡くなっていたとの見方を示したためといわれています。

当時の記事を調べると....
『調べでは、病院側は昨年2月14日午後、食事をのどに詰まらせ、心肺停止状態となった男性患者に人工呼吸器を装着した。その後、女性医師は「脳死状態で回復の見込みはない」と家族に人工呼吸器を外すことを提案。翌15日午前、人工呼吸器を外して男性患者を死亡させた疑いが持たれている。
 女性医師は調べに対し、「家族の負担も考えて(呼吸器外しを)相談した。合意は得ていた」と供述したという。
 道警は、神奈川県の東海大医学部付属病院事件の横浜地裁判決(95年)が示した「安楽死」の4要件などを基に、今回のケースが違法性を問われない「安楽死」に当たるかどうか、慎重に検討した。
 この結果、女性医師が他の医師の意見を聞かず、独断で人工呼吸器を外した▽本人の意思を確認せず、家族への病状の説明も不十分だった——などの点を重視し、殺意を立証できると判断した。』

この患者さんの状況を医師側からみると、
1.患者さんは90歳という超高齢の男性で体のすべての予備力が乏しくなっていた。(恐らく嚥下[飲み込む能力]障害もあった。)
2.食事をのどに詰まらせて、心肺停止状態となった。
3.適切な蘇生処置が行われ、蘇生に成功したが、低酸素による脳障害(恐らく脳幹部の障害)が起きて自発呼吸が停止した。
4.そのため、蘇生のために入れた気管チューブを抜かずに人工呼吸器を装着した。
5.脳幹部障害のため、vital sign(血圧、脈拍などの生命徴候)も不安定な『脳死』に近い状態であった。
6.再び病前の日常生活に戻ることはできない、それどころかあと数日あるいは数時間のうちに亡くなるであろうことを、臨床経験の豊富な主治医は読み取り家族へ説明する。
7.家族からの強い希望もあり、人工呼吸器のスイッチを切った。
という状況であったのではないかと思われます。

全ての情報を信用していいのか?は別として、当時の記事から見ても、これだけの事が読み取れます。医師側からすると、『仕方がなかった...』でも、『不用意だった』としかいえません。『横浜地裁判決(95年)が示した「安楽死」の4要件』にしても、『本人の意思を確認する』必要性を指摘しており、このような突発的に起こった事例で『本人の意思』を確認できない場合は、この行為は『法的に擁護されない』という認識がなかったのかもしれません。

『人工呼吸器を止めても、止めなくても、この患者さんは数十分のうちに亡くなっていたであろう』ということが、この事例での起訴困難となった条件ですが...今後は、『どのような状況で、どういう要件をクリアすれば医師が法的に擁護される尊厳死となるのか?』を、もっと明確にすべきだと思います。日本各地でこういう患者さんと対峙している医師はたくさんいて、これからもなくなることはありません。
きちんとした基準を作らない限り、懸命に患者さんと、その家族に尽くした医師が刑事的に起訴されるということが、これからも起き続けるでしょう。

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2006年4月 5日 (水)

尊厳死報道に感じる事

2006年4月5日 雨のち晴れ
射水市民病院の続報が流れています。当初より、医療者からみると、『なぜ、こんなことに?』といぶかしんでしまう部分が多かったこの事件ですが…徐々に全容が明らかになってきています。

まず、ガン末期の患者さんに対して、『なぜ、人工呼吸器を装着したのか?』です。ガン末期で、救命できる可能性が限りなく少ない場合は、家族や本人とよくお話をして、『気管にチューブを入れてまで、延命をはかりますか?』ということを一度は検討すると思います。最期の部分でどういった処置を希望するか?というのは各人、各家族でかなり違うとは思いますが、じっくりお話しして考える時間があれば、かなりの患者さんで人工呼吸器の装着を希望しないと思います。マスコミ上で流れている数として7例とのことですが、これは全てのTerminal stage(終末期)の患者の一部で、家族が人工呼吸器の装着を希望した数であると思われます。

また、本日の新聞で流れていた情報をみると、『数年前に胃がんと診断され、昨年春にインフルエンザに罹患してから急速に状態が悪化し自発呼吸がなくなり人工呼吸器を装着された』女性で、『回復の見込みのないことを伝えられ』、『本人がチューブにつながれてまで生きたくない』との意思を示していた事から、家族は主治医である外科部長に呼吸器の取り外しを要請したとされています。この患者さんは通常の終末期の患者さんの経過とは異なり、インフルエンザにより急速に状態が悪化した事が考えられ、延命というよりは救命のために挿管したものと考えられます。

残りの患者さんは、恐らく人工呼吸器を装着する事がどういった事なのか?を説明されて、そして、『やはり、トコトンやってほしい』と希望されたのだと思います。しかし、延命治療の中で顔つきが変化してきたり、回復の見込みのないことを実感されて人工呼吸器の取り外しを要望したり、同意したりしたのではないかと推測(あくまで推測ですが…)されます。

前述のインフルエンザで急速に症状が悪化した患者さんの遺族は『気の毒である』とまで思われており、少なくとも今回の渦中の外科部長さんに対して感謝こそすれ、敵意を表すなどはありません。残念なのは、日本ではこのような場合に医師を守る法律が整備されていない事です。法が整備され、一定の条件での『尊厳死』を認める方向に進まなければ、これからもこういった事例は起き続けるでしょう。

しかし、立法化に向けては国民の中に『容認派』から『絶対に許せない派』までピンからキリまでの意見がみられており、容易にコトが進むものとは考えられません。まだまだ、医師や患者さん、そして家族の苦悩は続く事となります。

また、この事件がマスコミに広く伝えられたのは…(最初から、『こういう構図ではないのか?』と思っていましたが)、病院内部のドロドロとした派閥争い、確執があったのではないか?と指摘するメディアもあります。確かにそうです。病院の内部は確執がないところの方が少ないでしょう。(これは私見です。)そして、自分の病院が傷つくのに、それを敢えて、あれほど大々的に公開した病院長は何らかの企みがあったのかもしれないと感じるのは、『穿った』目で見過ぎているのでしょうか??

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