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2009年7月11日 (土)

0系

2009年7月11日 雨
昨日から雷雨。

近くにある、よく濃霧に包まれる高速道路では、バスの事故で高校球児が一人亡くなりました。心より御冥福を祈ります。

0系新幹線は1964年に東海道新幹線が開業した時に走り始めた車両です。昨年引退し走る姿はみかけなくなりました。実に44年の長きにわたり走っていたんですね。世界で初めての高速鉄道。それまで、営業運転で時速200kmを超える鉄道はありませんでした。当時は航空機による運送が鉄道にとって変わられて行く時代。国は新幹線建設の意味を受け入れられず、当時の国鉄は半ば『自腹を切る』形で開発を進めました。

初代新幹線展示します

<以下、引用>
『初代新幹線展示します

10月から鉄道博物館
 JR東日本は8日、鉄道博物館(さいたま市大宮区)で10月から、1964年の東海道新幹線開業に合わせてデビューした初代新幹線「0系」を展示すると発表した。

 展示するのは、開業時に製造された360両のうちの先頭車両1両。博物館内に展示スペースを新たに作り、車内や台車を見学できるようにするほか、開業当時の時刻表やベンチなども再現する予定。総事業費は約2億4000万円。

 「0系」は、国内の列車で初めて最高時速210キロ・メートルを達成。それまで約6時間半かかっていた東京―新大阪間を約4時間で結び、高速鉄道時代の幕開けを告げた。丸みを帯びた先端の形状が「団子っ鼻」の愛称で親しまれ、昨年末に引退するまで3200両余りが製造された。

(2009年6月9日 読売新聞)』
<引用終わり>

日本の場合、在来線は線路の幅が狭軌(線路幅1,067mm)であり、列車を高速で走らせるためには不利な条件でした。そこで、東京ー大阪間に新たに標準軌(線路幅1,435mm)の新たな線路を建設し、それを新幹線と呼びました。新しい線路だけでなく、様々な新しい技術が盛り込まれています。高速を得るために必要とする動力を得るためには、電車線(架線)に流れる電流をおさえておかなければなりませんでした。それまでは直流3,000Vなどの規格であった電車線は一気に交流25,000Vとし、当初はそれを直流に整流して電圧を変化させて電動機を動かしていました。その後は、大型サイリスタなどのパワーエレクトロニクスの発達とともに3相交流で誘導電動機を動かし、取り出せる出力を増加させN700系では最高時速300kmに達しています。

TGVに比較してup downの大きい線路、山陽新幹線では実に路線の50%がトンネルにある等の条件から、ブレーキや車両の気密性についても厳しいものが要求されます。ブレーキに関しては当初より空気ブレーキと発電ブレーキをブレンドして用いましたが、その後、これもパワーエレクトロニクス進歩の恩恵から回生ブレーキが開発され、ブレーキで生じるエネルギーを回収することが出来るようになっています。トンネルの多さは、トンネル出口での微気圧波による騒音を軽減するため、使用する車両の形に大きな影響を与えています。『カモノハシ』を彷彿とさせるその先頭車両の形状は、トンネルを高速で通過するために必要な形です。

東海道新幹線は営業的に大きな成功をおさめ、当初懐疑的であった国でさえも巻き込んで、整備新幹線計画を練るに至らせました。その後は、仏TGVと激しい速度争いを繰り広げています。速度重視のTGVに比べ、輸送力重視設計の新幹線は最高速度は劣りますが、区間の平均速度は速かったりします。(在来線と相互乗り入れのTGVと単独の新幹線の差もあるかもしれません...。)

日本の鉄道技術は、この0系新幹線から凄まじい進歩を遂げています。その意味で、0系は引退しても感慨深い存在であり続けるのでしょう。

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