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2006年9月26日 (火)

難しい選択

2006年9月26日 晴れ
急速に季節は動いています。朝晩の冷え込みは、日を追うごとに進んでいきます。
おかげで、喉を少しヤラレました。

拙ブログにもトラックバックいただいているブログ、「ある産婦人科医のひとりごと」の中の記事に当事者からと思われるコメントが投稿されています。

この記事には、拙ブログから産科医のいない院内助産所産科医のいない院内助産所2という記事でトラックバックさせていただいております。

さて、「ある産婦人科医のひとりごと」に寄せられたコメントについてですが、南和歌山医療センター院長と思われる方からのものでした。その中で、『現実に立派な職業人である助産師個々人の意志を無視して施設とその雇用母体を超えてできるかどうか良くお考え下さい。』との言葉がありました。確かに難しいことですね、設立母体を超えての配置転換は...私でも、「いまから近くの公的病院にいってくれ」といわれれば、なかなか即座に「うん」とは言えないでしょう。
しかし、現在の日本の周産期医療を取り巻く状況は、一刻の猶予も許されない状況となってきているのではないかと考えます。地域での周産期医療を支える人材の集約化を進めなければ、共倒れとなってしまい、その地域に周産期医療を提供できる施設は皆無となってしまう可能性もあると思われます。集約化ができる地域は、ひょっとすると...まだ、幸せな方かもしれません。その地域に人材がいなくなってしまえば、集約化もできないわけですから....

今回の、南和歌山医療センターと紀南病院の件は、その施設間の距離は3kmと非常に近いものです。この地域の周産期医療を存続させるために、仕方がなく産婦人科医の集約化を進めたのであると考えます。いろいろと立ちはだかる壁は高く、乗り越えるのに大変な思いをすることと思いますが...地域の中で知恵を出し合い、「どうやって人的資源を有効に活用するか?」を考えるべきであるのではないかと考えてしまいます。

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コメント

befu先生。ご無沙汰しております。なかなか難しい問題ですね…私、この院長の立場をなんとか擁護できないかな…と思ってエントリを書いてみました。こちらのエントリをリンクさせて頂いてます。(トラックバックの仕方がわからなくてすみません…)

投稿: テツオ | 2006年9月27日 (水) 22時33分

befuさん
今晩は。二回目のコメントになるかと存じます。

医師の中には、今も建設的に(お人よし的にといってもいいかもしれませんが)考えている人はいます。また他ブログでの医療・法曹間の活発な発言も未来の日本の医療世界を希望ないしは予測するものではあります。

この院長(本人かどうかはわかりません)の意見も「とりあえず」現況を何とかしなければ的意見だと思います。つまり、現況を何とかしなければという姿勢から考えると、批判されるばかりの部分ではないでしょう。

しかし、それが長期的には医療をする方と受ける方の間に齟齬を生み、日本全体の医療の最悪事態を後送りすると思います。

日本人のいにしえから続く「頑張れ」精神がいいも悪いも問題です。これはヤポニカが濃く有する感情の部分であろうから消滅はしないにせよ、理性と論理で越えねばならないことです。為政者のみならず医師も例外ではありません。医師も使命感で「頑張れ」でできる時代は終わっています。また医師の治療がほぼ100%成功するという世論も錯感覚です。

この部分を、医師と社会が共有できるようにすることがまず第一かと考えます。医師個人的には、内容と説明の仕方で可能なこともありますが、社会の認識としてどこでも、だれでもできなければ意味は少ないですものね。その方法論は、私が愚考するより賢明な多く音医療ブログにヒントはあります。

冗長になりましたが、現況を救いつつ、未来に繋げられる意見と実行力(必ずしも国からのトップダウンではなく、県単位でも市長村単位でも、大きく敷衍できるモデル)を今模索している人は多いと思います。医師に限らず。

投稿: 四半世紀勤務医 | 2006年9月27日 (水) 23時25分

今回の件に関しては、医師側の意見が大きく採り上げられていますが、当の助産師達はどのような意志を持っているのでしょうか。
 勤務助産師と開業助産師にはあきらかに違いがでてきます。それはやはり医師に対して依存してしまうことにより、本来与えらいる助産の技術、判断にも甘えが生じる。もちろんそんなことはない勤務助産師もいると思いますが。
 集約化によりハード面ばかりにとらわれていますが、お産は医師のものでも助産師のものでもありませせん。何より産婦さん達自身のものです。ただ産ませればいいと言うわけにはいきません。子育て(人を育てる)ということに通じるその大切なイベントを産婦さんの支えになることが大切なのではないかと思います。それがどのような形なのか、もっと産む側の女性やその家族とともに考えることが大切なのではないでしょうか。

投稿: りんご | 2006年9月28日 (木) 10時06分

みなさま
コメントありがとうございます。

コメントに対するレスとして、一つ記事を立てたいと思います。また、その場でも活発な議論をいただければ幸いに存じます。

投稿: 管理人 | 2006年9月28日 (木) 21時25分

>勤務助産師と開業助産師にはあきらかに違いがでてきます。それはやはり医師に対して依存してしまうことにより、本来与えらいる助産の技術、判断にも甘えが生じる。もちろんそんなことはない勤務助産師もいると思いますが。

 これを甘えととるかどうか。。。危険を未然に予測し、対応できる(この場合は産婦人科医)の支持を仰げる助産師というのは立派なプロだと思いますが。
 逆にいつ緊急時外があるかわからないお産で万全の体制をとらない(開業助産師のみでは医療介入できません)ほうが危険管理能力に劣ると思います。

 助産院も「緊急時は搬送すれば大丈夫」というのではなく、「医療介入できないから緊急時には搬送しても間に合わないことがある、そして誰がそうなるかわからない。病院ですぐ帝王切開すれば助かるものも助からないかもしれない」と明言したら、どれくらいの妊婦さんが助産院での出産を希望するのでしょうか。

 出産はイベントです。でも結婚式のような一瞬のイベントとは違い、ひとつの生命が夜に誕生する入り口にすぎません。妊婦さんが満足と母子の安全と、よく考えないといけないのではないかと思います。

 助産師が妊婦さんの心身に寄り添うことと、出産を助産師のみで取り扱うことは全く別のことだと思います。

 時代は安全を求めています。チームで機能するように考えたほうがいいのでは。

投稿: 医療って | 2006年9月28日 (木) 21時37分

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