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2006年3月29日 (水)

医療界と法曹界の間の深い溝

2006年3月29日 薄曇り ちょっと肌寒かった

最近の医師に対する法曹界からの対応について、『なぜ、このようなコトになるのか?』を少しだけ考えてみました。そもそも、お互いの基本的なものごとの考え方に大きな距離があるのではないかと...

医療は人間一人一人に対して、生命の危機から救ったり、苦痛を和らげたり、そういったサービスを提供するもので、現在ではガン末期などの『いずれ亡くなる患者さん』に対して、亡くなる前の良い時間を作ってあげたりする事もあります。(これがホスピスで提供されるサービスです。)もちろん、病気が治る可能性があれば、浸襲を伴う検査や治療を行う事もありますが、全体のバランスとして『その患者さんのためになること』をやっていきます。

これに対して、法曹界の方々は法律によって、社会を混乱させず、スムーズに動かしていくのがお仕事なのではないかと思います。現在の法律はかなり整備されてきていますので(ただ、現状にあわない部分もあります。)、それにのっとって社会が公平で混乱しない方向に進めるように動くというのが基本なのではないかと考えます。ただし、法律の曖昧な部分(例えば、医師法でいう異状死の定義など)は十分に利用して、コトを進める様です。

さて、富山県射水市の射水市民病院で7人の患者が人工呼吸器を外されて死亡した事件(記事)では、尊厳死の基準が問題となります。他国をみると、尊厳死、安楽死(薬物投与などの積極的安楽死も含めて)の基準が法律により制定されているところもありますが、日本ではそれに関連した法律は制定されていません。同様の安楽死事件は複数起こってきており、その中で判例として尊厳死を認める基準を示したものもありましたが、医師側からすると『危なくて使えない』。現実的には、『法的に尊厳死、安楽死は認められない』ということになっています。
私が収集できた情報の中での話ですが、この事件での問題点として
1. 本人の意思を確認できていない。
2. 家族の同意を確認できる同意書が残っていない。
3. 複数の医師により、回復する見込みを否定していない。
などの問題があり、法的にはこの先生の責任はまぬがれえないものと思われます。

しかし、医療の中ではどうでしょうか?医療は『その患者さんのためになること』をやっていくのです。回復の見込みの少ない(というよりガン末期であれば、『まず回復しない』という方が正確と思います。)患者さんが気管内にチューブを入れられ、強制的に呼吸させられる。また、期間が長くなれば、口や鼻からのチューブ挿入では維持できず、気管切開といって喉の気管を前から切開して、そこにチューブを入れなければなりません。このような状態では、徐々に患者さんの顔つきも変わり、眼は濁っていきます。
自分がそういう状況になったときには、こういった延命治療は『ごめんこうむる』と私は思います。

患者さんの家族はそれぞれ考え方があり、『亡くなるまで出来るだけのことをしてほしい』方もいれば、『こんなに変わっていくのはみてられない』という方もおられると思います。もし、家族が後者に属する方達であり、医師に延命治療の中止を懇願した場合はどうなるでしょうか?
その医師は多いに苦しむ事になります。

医療の現場と法曹界の間には大きな溝があります。この溝を埋めるためには、医療の現場で問題となる部分の法整備、医師や医療関係者を裁くための専門的な機関の設置、そして、過失がなくても遺族に補償できる無過失補償精度の確立が必要と考えます。

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