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2006年3月28日 (火)

医療の限界

2006年3月28日 晴れ 風が強い

これから語る内容の前に、一医療者として我が子を育てる事なく亡くなられた女性及び遺族のかたに深甚なる哀悼の意を捧げたいと思います。

医師は人間です。神ではありません。人間が行う事には完全はありません。医療過誤もあれば、ある一定の確率で出てくる『避けられない死亡』があります。神に近づくため、努力をし、多くの犠牲の上にたって今日の進歩した医療があるのです。

最近になり、医療を取り巻く環境が変化したためか?医師が刑事的に起訴されたり、逮捕拘留されたりすることが見られ始めました。医療上のミスを隠蔽したり、功名心にとりつかれた末に起こった事故や現時点での医療のレベルに著しく遅れた処置によって起こったできごとは許すべきではなく、当事者に厳正な処分が必要と感じますが...臨床医が『患者さんのために精一杯がんばったのだけれども、結果として亡くなられてしまった』というような事象に対して、刑事罰をもってのぞむのは余りに慈悲のないことだと思います。

今回、福島県立大野病院で起こった、医師の逮捕劇はまさに、その範疇に入るものと思われます。(記事)逮捕された医師は、産婦人科専門医として9年目、へき地の中核病院で一人産婦人科医長をしていました。年間200から300例の分娩を『一人で』こなし、20から30例の帝王切開を執刀しており、文字通り『24時間365日』という表現が似合う、そんな生活であったのではないかと推測されます。

ここで、分娩は決して安全ではなく、現在の日本の妊産婦死亡率は世界でも最低のレベルですが、それは産婦人科医や助産師のたゆまぬ努力の賜物であると考えられます。しかし、分娩にまつわる死亡はゼロにはできず、医師の教育の中でも、『常位胎盤早期剥離』『子癇発作』など胎児のみならず、母体の死亡に直結するような内容の疾患がでてきます。

亡くなられた産褥婦さんは、『前置胎盤』という新生児が子宮からでてくる子宮口を胎盤が塞いでしまう状態でした。通常の経膣分娩であれば新生児が出れないどころか、大出血して胎児及び母体死亡の可能性があり、帝王切開の適応です。また、大量出血の原因となった『癒着胎盤』は分娩1から2万例に1例ほどの非常に稀な疾患であり、現在の診断技術を持ってしても術前に診断する事は非常に難しいとのことです。

胎児娩出後、胎盤を子宮より剥離できず大量の出血が始まり(『胎盤をクーパー”手術用のはさみ”で剥離した』ことが問題となっていますが、これは『ありうること』との見解が示されています。)、術野は『血の海』となり、臓器のorientation”臓器のある場所”が付かない状態となっていたと思われます。産科医は一人、前立ち(助手のこと)は外科Dr。更に中央部から離れた病院で、輸血の確保が難しい。子宮動脈の遮断や、子宮摘出(患者さんは子宮温存を望んでいたのではないか?と聞いております。よって、子宮摘出には『相当の覚悟をもって』のぞんだものと思われます。)まで行ったが止血が間に合わず、本当に残念なことですが、出血性ショックで貴重な命を失ってしまった。

これが、いままで集めた情報から推定した、術中の経過だと思います。まとめると...
1.前置胎盤に対して帝王切開を行ったことは問題がない。
2.癒着胎盤は術前に診断する事が非常に難しく、よって、それを推定して準備する事は不可能に近い。(輸血の準備が少なかったとの意見があるが、全ての帝王切開症例にMAP(赤血球輸血用血液)10ℓ分準備することは事実上不可能。)
3.術中の操作については、現在の医療技術と照らし合わせても特に過失があると思えない。

この先生は、業務上過失致死及び医師法違反(第21条 異状死体の届け出義務)にて逮捕拘留、起訴されました。また、逮捕が必要であった理由として、証拠隠滅の恐れ、逃亡の恐れがあるとのことでしたが、逮捕当日まで通常の勤務をされており、その恐れはまったくないものと考えます。そして、診療中に『マスコミ』の前で逮捕するなど、事前に検察、警察が情報をリークしていた疑いもあり、もしそれが本当ならば、非難されるべき行為であるといわざるを得ません。

医療には限界があります。その限界は、医師やその他のco-medical staffの努力、研鑽、そして尊い犠牲の上に、一歩一歩着実に引き上げられてきました。このような『過失』があるとは思えない症例では、医師個人の責任を追求するのではなく、患者さんや遺族に対する補償を行う事、そして、今後のためにこういった事例を防止する策を追求すべきです。それが、医療の限界を引き上げていく、大きな原動力となるでしょう。

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コメント

先月、地元の大学病院で卵巣脳腫の手術をしました。担当してくださった医師は、若く勉強熱心に見えました。無事に腫瘍部分だけ取り除く手術が終わり、退院し今は普通の生活に戻りつつあります。入院中に医局で朝早くから夜遅くまで土日も働いていらっしゃる姿を見て、本当に有り難く思いました。実は、私の義弟も内科医で他の病院に勤務しておりましたが、その勤務状態は凄まじいものでした。劣悪な環境を考慮せず、今回のような事件が起きたのは必然的としか言いようがありません。

投稿: おまき | 2006年4月12日 (水) 17時46分

こんばんは
おまき さま

コメントありがとうございます。一般の方から、このようなすばらしいコメントをいただき、『日本の医療もまだ捨てたものではないな』という思いがしています。

御指摘のごとく、日本の医療の領域の一部では、かなりの劣悪な勤務環境が存在します。そして、このことを理解していただけるのは、一部の心ある方々なのかもしれません。

少しでも多くの方に、医療の現実をわかっていただけたらと思い、このブログをはじめましたので、このコメントは本当に涙が出るくらい嬉しいものです。

ありがとうございました。

投稿: befu | 2006年4月12日 (水) 20時18分

 お忙しい中、早速お返事くださり有難うございました。他のHPなどを見ると「医師は特権階級」だの「ドクハラ」だの酷い言葉もたくさん載っていました。かくゆう私も、今回の入院体験や身内に医師ができたことで、初めて知ったことがたくさんありました。医療事故を起こしたくて起こした医師は決して居ません。しかし、医師も人間ですからミスをすることも有るでしょう。そのようなことが未然に防がれる体制づくりを私達一般人も考えていく必要性を感じました。
 これからもお仕事、頑張ってください。
 

投稿: おまき | 2006年4月13日 (木) 10時45分

コメント有難うございます。一人小児科医長でいらっしゃるとのことで、大変忙しい毎日をお送りのことと思います。今回の事件は医療者としてはまさにショッキングなものでした。今までの医療事故と比べ、悪質さが感じられず、検察の勇み足の気である気がしてなりません。医療はサービス業と言いますが、これほどリスクの高いサービス業はありません。飲酒運転の運転手がひき逃げをおこす事件と同列に考えられては、そのうち、この国から医者はいなくなるのではないでしょうか。

投稿: ひで | 2006年4月28日 (金) 01時36分

ひで先生

コメントありがとうございました。
どの線までは過失で、それより以上は過失でないという明瞭な線をひくのは非常に難しいことであるとは考えますが...
今の状態では、結果が悪ければこじつけで悪者にされてしまう可能性があります。ある程度公平に意見を述べられる審査機関が必要と考えます。

投稿: befu | 2006年4月28日 (金) 11時01分

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自ブログ内リンク集 ( last update: 06/04/01 ) 2006 [続きを読む]

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» 子どもは不死身か?その1 [出もの腫れもの処嫌わず]
しょーもない番組に対応していてすっかり後回しになっちゃったけど、死に対する一般のイメージについて考えるために、重要なニュースがいくつかあったのを思い出したよ。医療メディアウオッチャーとしては、ホントはこーゆー現実がどー報道されてるかってことこそ、よーく見なくちゃねーと反省しとります。  ひとつは、綿アメの割バシが脳に刺さっていたのを見落としたとして医師が訴えられていた裁判。結局医師は無罪になったものの、裁判官は判決に異例のコメントをつけて医師の過失を世間にアピールし、メディアはこぞって親に同情的な... [続きを読む]

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